読書速度・パターン認識・全体と細部

読書速度は一面に過ぎない

読書速度測定


最近流行していますが、速読力というのは読書力のあくまで一面に過ぎません。そこで他の読書力を三つの要素から考えてみましょう。

  • 量と質

英語のように読めること自体に意味があるもの、数式のようにそれ自体は短いもの、文学・詩のように文字通りの意味だけ追っても仕方がないもの、というように読書の質が重要なジャンルもあります。そのような深く読む力は簡単に計測できませんが、テストできなくても大事なことには変わりありません。

  • 入力と出力

読めるだけではなくて、そこからアイディアを思いつくとか、実践できるようになることが重要です。プログラムの本を読んでも実際に動くものが組めないといけないとか。ミステリの本なら早く読む力より犯人の推理力が必要でしょう。

  • 選択

そもそも目的に合う本を効率的に探せれば、急いで読む必要もありません。

線条性を持つメディアの特性

とはいえ、「速度」には興味深い面もあります。コンテンツの鑑賞スピードを受け手側が変化することができるのは、文字系メディアの特徴です。映画は時間が決まっています。レンタルビデオなら早送りできますが。音楽の場合は2倍速で聞いたらもう別のものになってしまいます。マンガは絵もありますが、その絵が記号的なので(文字化)、早く読めるのでしょう。そしてこのことは速読に関係してきます。どういうことか。


なぜ速読できるかというと、パターン認識化するから早いのでしょう。つまり、将棋の棋士が盤面を見た瞬間にありそうな手しか浮かばないということです。素人がムダな手を一生懸命読み、更にマシンなら総当りで力まかせに読むところを、ばっさり切り捨てるわけです。これを読書の話で言えば、ムダな意味を最初から読み込まないということです。

部分から読むか、全体から読むか

最初に言ったように、早く読めるかどうかというのは、わりとどうでもいいことなんですが、その過程の図式化には興味があるので書いてみます。つまりこういうことです。


遅い人は、(無意識)に音読するので、一字ずつサーチしてしまうのではないか。すると例えば、次のような文章を読む場合に、

そもそも目的に合う本を効率的に探せれば、急いで読む必要もありません。

「そもそも目」まで読んでも、「そもそも〜ない」という一つの構文で意味を成すために「そもそも」はまだ意味が曖昧ですし、「目」がなんなのか、「目玉焼き」とか「目黒」とか色々なパターンがあるわけです。他にも「本」のところで「本当」かとか、「急」のところで「急行」かとか、先が分からなければ意味の処理ができません。


そこで、「そもそも目的に合う本を効率的に探せれば、急いで読む必要もありません。」という風に最初から一目で全部バッファに入れてしまって、そこから単語を切り出した方がはるかに効率的でしょう。もちろんその処理は無意識的になされて、「急いでは急行ではないな」などと意識することはありませんが。


そして空間と時間のトレードオフで、バッファは大きいほど(一ページ全体とか)早いでしょう。なんかクイックソートバブルソートとかより早いというような話に思えてきます。いや、それが本当のメカニズムなのかはどうでもいいんです。全体が決まっていると早いという話をしましたが、逆に細部だけを読んでいくことで多様な可能性が生まれてきますね。どういうことか。最後に一気に飛躍します。

ミステリは細部に注目し日常を異化するジャンルである

ミステリという語を出したのは伏線なんですけど、ミステリの本を全体、というか結末だけ先に読んだら凄く早く読めると思うんですよ。ハイ、ここでAさんはBさんとすり替わってる、Cはこの時点で既に死んでる、とか。でもそれでは全然面白くない。執拗に描写された細部が色々な可能性を見せてくれるから面白いんでしょう。二度目に読むときには晴れてしまっている霧のような感覚、夢のような質感が魅力なのです。


そしてこのブログのテーマである萌えに結び付けます。*1萌え系の作品は、データベースから適当に萌え要素を抽出して組合せる*2だけだ、というのは作り手の話であって、読み手にとってはそれに加えて誤配する可能性の強度のようなものがあります。例えば単に左右の眼の色が違う(オッドアイ)という設定と、眼の色が違うことで幽霊が見えるという設定では全然違います。*3さらには片目だけ電脳に繋がってるとか、ビームが出るとか、眼帯をしてるとか、緑色の涙を流すとか。


つまり、昨日「箱選び」云々で言ってたことはこういうことなんです。選択肢が明示されているかが大事なのではなくて、そこから分岐を想像できるという誤配可能性のようなものが大事だと思います。そして読み手の逸脱して読む力(速読力の逆)というか、インタラクティブな何かがなければ、萌え系は本当に薄っぺらくてつまらなくなってしまう。要するに萌え系の作品の場合、全体的なテーマの代わりに、細部のモチーフの力に注目する必要があるわけです。強引な展開でしたが、この感触がうまく伝わればいいなと思って書きました。

*1:こういう桶屋メソッドで展開するのが最近の好みです

*2:もちろん元ネタは動ポモ

*3:大塚英志の例