メディアミックスはコピペなのか

復活直後の記事が早速カトゆーとかーずに捕捉されて幸先の良い出だしになりました。今度はメディアミックスについて考えます。この戦略は一般化しましたが、ただの手抜きである場合も多いと思います。そこで表現としての可能性について考えてみます。

メディアミックスとは何か

元々は広告産業の言葉のようですが、角川書店の成功が印象に強いでしょう。萌えがテーマのこのブログでは、この角川的メディアミックスについて考察します。メディアミックスとは、一つの作品を異なる媒体で展開することです。ここでは版元が扱うアニメやゲームだけでなく同人誌なども含めますが、興味深いのは、そこで同じ構造が再帰的に現れていることです。どういうことか。


二次創作というのは、一つの作品を異なる作家が描くことで、つまり作家ミックスです。もちろんアンソロジーという形式は昔からありました。和歌や俳句の歌集・句集も似たようなものかもしれません。しかしいま、新しい潮流は確実に押し寄せてきています。イメージとしては、昔の一作品一媒体がエクスデスなら、メディアミックス後はネオエクスデスで、何かが変わっている。

メディアミックスはコピペなのか

しかし一方、メディアミックスは、ただ作品やキャラを使いまわして手を抜いているだけではないでしょうか。これは一面…いや多くの面で確かにあります。例えばマンガにフィギュアが付いていたりするのは、昔のオマケ商法や抱き合わせ商法を彷彿とさせます。またそのうちPCソフトのように、ちょっとバージョンアップした「コミックス第7.5巻」とか「11.42β巻」とか、平気で出るようになるかもしれません。それもちょっとどうかと思う。


ただこのブログではなるべく、説教的な構えではなく戦略的な構えを取りたいので、可能性の中心を探っていきます。それに例えばアニメが大量生産過ぎて〜というような話は、アニメ雑誌でプロの業界人が話しているので、ここで繰り返すのは退屈でしょう。

メディア間の差異を捉える

きわめて基本的なことなのですが、例えばマンガとゲームを比較したときに、ゲームの方が色はあるし動きはあるし音声はあるし操作はできるし、情報量が多いわけでしょう。そうするとマンガというメディアのメリットはなんでしょうか。メディアミックス戦略は常識なのに、少し踏み込むと意外にメディア間の違いは分からない。


まず最初にマンガの方が安価だというのはあります。しかし今はゲームの廉価版などが豊富にあります。それからこれは好まれている言い方ですが、「情報量が少ないことで、かえって想像力を刺激する」タイプの説はあります。作画を叩く一方で脳内補完能力を誇りにするオタクの通(つう)心を満足させますし、「VIPクオリティ」「だが、それがいい」などにも通じてこれはこれで面白い話なのですが、あまりに便利で万能な方便なので、ここでは禁じ手にします。

後ろ向きの立ち絵

具体的に見てみます。エロゲギャルゲではノベルゲーム形式の採用が多いです。ウィンドウが画面下半分に出るタイプでは、背景+立ち絵のパターンが多くなります。『ジサツのための101の方法』『HEARTWORK』のように、そうでないものもあります。この割とマニアックな二つのタイトルを出したのは偶然ではありません。両方とも死を扱っているので、その絶対性のようなものを描くのに、絵を使いまわすのは適切ではないのでしょう。ちなみにひぐらしの場合は使いまわしですが、回想に侵入するとか別の方法で不気味さを描いています。


少し脱線しましたが、ここから核心に入ります。いわゆる紙芝居型の美少女ゲームの立ち絵では、後ろ向きの姿を描くことはほとんどありません。*1背中だけではなくて、ちょっと上から見下ろしたり煽ったりする角度の絵も、背景との関係から描きづらいでしょう。そういう絵はイベント絵に回されます。*2


だからマンガの武器として、そういうコマごとの微妙な違いを積みかさねることで、何かマンガ独自のものが表現できます。マンガの技法書を描いている菅野博之が振り向きの技法と呼んでいますが、登場人物がコマごとに微妙に違う方向を向くことで、画面が単調になりません。これはたぶん、文章術で「〜だ」「〜だ」と文末を続けない、というような話と共通しています。まるで三峰徹のように正面バストアップが連続すると、「何か」が失われます。もちろん三峰自身は素晴らしいのですが、萌え系の作品なら後姿にも萌えさせようという話です。

コマがマンガの現実を作る

ジャンル特有の制約される部分にこそ可能性があるわけで、その固有性を無視してしまうなら、メディアミックスも単なるコピペに堕してしまうでしょう。マンガならコマ、アニメなら動き、ゲームなら選択肢に、表現の魂のようなものが宿ります。もちろん止め絵の美麗さを追求したアニメや、選択肢を放棄したひぐらしなどがありますし、特定の作品を持ち上げるわけではないのですが、少なくとも自覚的である必要はあります。「コマというのは現実にないからマンガは虚構だ」とか「コマというローカルな形式がメディアミックスの障害になる」とかではなくて、「コマがマンガの現実を作る」のです。

*1:もしも明日が晴れならば』『はちみつ荘deほっぺにちゅ 』では後ろ向きの立ち絵がある

*2:ただトゥーンシェーディングとか3Dキャラならできそう