キャラはメタ消費というよりベタ消費としての利用価値が高まりつつあり、同人によるビジュアルの切り離しがそれを加速する

パッケージ化の魔力。実存の引力から逃れられないモノ。
独り言以外の何か
>キャラクターのバラ売り論に対して。
>買いに行くって行為が魅力的で、所有欲を満たしてくれるから上に賛成。

薔薇売りの少女

バラ売り論が不評なんですが、ただ効率的というだけじゃなくて、
かつての「井上涼子」みたいな同居型では、攻略キャラの選択が
無いぶん、逆に愛着が沸いてきます。『ぽけかの』みたいな連動
とかもケータイからPSPまで今の環境は開拓の余地があるし。
「常駐」とか「常時接続」とかと「同居」は相性がいいと思う。
そこで時代を先取りし(過ぎ)た単キャラを復活させようと…。


また同人ダウンロードは値段の関係から自然と単キャラ指向に
なりますが、これが値段の割りに意外と出来が良くて、例えば
ティンクルベル―昔『巫女一番』とか作ってて、またダイソー
『少女魔法学園』を売ってたりするんですが―の『つん★デれ』
とか、lilithの『奴隷メイドプリンセス』とかが丁度ツンデレ物で、
また後でレビューしますが、前者は技術が、後者は設定が秀逸です。

本を読む順番

唐突ですがここで、少し違う視点で見てみますと、
私は本を順番に読まないんです。どういうことか。
萌え系以外は時間が掛かる本ばかり読むので、
かなり意識的戦略的に選ばないといけません。
生活的な実感からバラ売り論を思いつきました。


例えばプログラミング関係なら色々な言語の本に
ちょこっと正規表現が載っているんだけど、後で
正規表現専門に一冊買ってから、もう一回言語を
横断して読んでみるとか、Javascriptで言えば
WSH/Jscriptとかブックマークレットをついでに
覚えようかとか、AjaxをやればXMLが絡むとか。


しかも私のプログラミングレベルは
N88BASICの時代で止まっているので、
オブジェクト指向とか実は分からず、
最初に軽く下読みして語句とか記憶
してから再度本格的に読もうとか、
日本語で書いてあっても、翻訳的に
他を参照しながら読むスタイルです。


そういう経験から自然とツンデレ
ゲーム理論で翻訳してみたりします。
それはともかく、これを萌え系の話
に戻して考えてみる事にしましょう。
大作主義から翻訳的な読みへという
ほとんど同じ流れになっています。

オタクラスタと萌えキャッシュ

翻訳から更に連想すると経路と残像、
更にはnyのクラスタとキャッシュの
比喩を、どうしても使いたくなります。
つまり今の萌え市場は、表現が表面的で
軽い一方で、時間的には大作化しています。
そこで拡散の仕組みが必要になってきます。


ツンデレ」とかクラスタリングして、
「あ、あんたのために…」から「エビフライ」まで
萌えキャッシュを残しておくことで、
昔ならマイナーな扱いに終わったニッチジャンルも
ネットのやり取りに間に合うわけです。
専門板がHDDの容量と検索力を重視するのに対し、
VIPはキャッシュとHIT率で回っています。


Ajax関連の勉強に気を取られてやや散漫ですが、整理しましょう。
キャラクタの単売から(MMO)RPGの経験値やアイテムの継承まで、
要するにデフラグというかガーベジコレクションというか何と言うか、
一回市場全体を最適化するため隙間を詰め直したらどうかという事です。

再び冒頭の疑問へ

パッケージの魅力の喪失と、世界観が分断されるという問題点は出ます。
冒頭のそれへの対策を述べれば、前者については、単体でもパッケージ
は可能で、むしろフィギュアとかの付録が誰か一体になる事情があれば、
キャラクタ一人の方が充実するという可能性だってある訳です。
バラ売りの最初の前提がお金より時間が足りなさそうというものなので、
同人DLの安売り路線だけではなくて、高級化の道もありえるのです。


後者は、世界観をLinuxのようにオープンソースで共同開発できないか。
というか、Fateひぐらしは既にその魅力で売れているのではないか。
なぜ私が同人を海賊版と同一視しないかと言えば、ゼロサムゲームでは
ないだろうからで、するとオープンソースと同じ協力ゲームが可能です。
オープンソースの開発モデルをゲーム理論で見る話は既にあります)

最速のヤバさをもっと知るべきだと思います

すると、エヴァからひぐらしまでの物語の破綻(と補完)は、
むしろ新しいゲームの地平を開くとも見れます。シト再生。
無論ただの手抜きも多くて、『EVE』シリーズとかはひどい。
段々滅茶苦茶になるし、売上げも毎回半減しているとか。
最初のバーストエラーは面白いし、その後も練り餡とか好きですが。
ただこのブログでは可能性を追求する方針で行くつもりです。



稚拙なものを需要しているのではなくて、むしろ
プロトタイプやライブラリ、あるいはメタデータ
更にはメタ生データとしての原作があるわけです。
ここで意外なところから参照してみましょう。


XMLはメタデータというより生データとしての利用価値が高まりつつあり、AjaxによるUIの切り離しがそれを加速する

HTMLがメインのデータでXMLメタデータ、という時代が終わり、XMLこそがメインのデータであり、HTMLはXMLを変換整形した結果に過ぎないという変化が起こりつつある、ということだ。それはごく限られた市場での話で、今はまだRSSリーダーを使ってる一部の情報ジャンキーぐらいしか実感していないことだけれども、確実に起こっている流れだ。
データとメタデータの主従逆転が起こっているのである。全文配信されるようになったRSSは、もはやメタデータというよりもRawDataとでも言うべきものであり、BlogがRSSを吐くのではなく、RSSをHTMLへ変換した結果が、いわゆる今見ているBlogなのである。


「キャラクターがメインの消費でキャラがメタ消費、という時代が終わり、
キャラこそがメインの消費であり、キャラクターはキャラを変換整形した結果に
過ぎないという変化が起こりつつある、ということだ。それはごく限られた
市場での話で、今はまだひぐらしにはまっている一部の同人ジャンキー
ぐらいしか実感していないことだけれども、確実に起こっている流れだ。
キャラクターとキャラの主従逆転が起こっているのである。全体補完
されるようになったSSは、もはや二次創作というよりも零次創作とでも
言うべきものであり、原作の作品から二次創作が派生するのではなく、
二次創作(の可能性)を変換した結果が、いわゆる今見ている原作なのである。」


と、私は翻訳したくなってくるわけです。飛躍し過ぎでしょうか。
しかし、あずまんがとかラブひなも原作の方が偶然的な印象です。
拙い長文読んで頂きお疲れ様でした。後でmoe2.0で再整理します。
原作と非同期の展開、XML=メタキャラクターとしてのキャラとか…