Fate・ひぐらしに見る新時代の(アンチ)ヒロイン像

注:少々ネタバレ有

ここまでのあらすじ

TYPEMOON『Fate/stay night』と07th Expansionひぐらしのなく頃に』の主人公を前回考察しました。士郎@Fateと圭一@ひぐらしの両者は、葛藤型ヒーローに分類され、視聴者・プレイヤーと距離を生じやすいという問題を抱えています。それは少年誌におけるヒロインのようなキャラ位置にありながら、主人公視点はそこに据え置かれたままという構造から発生します。


剣心@るろうにの場合、「想い」の強さが勝負を決める、精神論的な舞台にいることを読者も納得しています。少年誌だから。しかしFateの場合はどちらかと言えば、カードゲーム的召喚とバトルの戦略性が勝っているでしょう。なので戦いたくない主人公と齟齬が生じます。ちなみに主人と能力を分離することによって、例えば二次創作でifものが書きやすくなります(○○が××に召喚されていたら〜とか)。これは狙っているでしょう。


一方ひぐらしの場合、プレイヤーは学習するが主人公はリセットされる構造によって、やはり齟齬が生じます。もちろんそれが(ホラー)サスペンスの効果も生みますが、選択肢も選べないので不自由感は強いです。ただし、例えば回想TIPSでは一人称から抜け出た情報を得られるなど、ある程度の工夫もあります。このようにボトルネックになっている主人公ですが、現実の男の弱体化を反映しているのでしょうか。


さて「敵に囚われてしまうお姫様」「忍び寄る殺人鬼に気付かずシャワーを浴びる女」のように弱体化したヒーローではありますが、それを補うのがライバルの存在です。従来の熱血的主人公だって、対照的なライバルがいなければ、独りよがりに浮いてしまうでしょう。Fateでは主要な人物がほとんどそのままライバルになりえるし、ひぐらしでは擬似ミステリ形式によって、プレイヤがライバルになりえます。もう一つはツンデレなヒロインがライバルを吸収しています。今回はそのヒロインについて考察します。例によって少々のネタバレがあります。

解離型ヒロイン

竜宮レナひぐらし(ここでは特に鬼隠し編を念頭に置いています)は、解離型ヒロインに分類されるでしょう。葛藤型ヒーローと対象的ですね。解離というのは端的には解離性同一性障害(かつての多重人格のこと)が一番分かりやすいでしょう。赤坂美月@ダブルキャストもそうです。しかし、もっと大きい枠組みで見れば、ツンデレだってツンとデレの解離です。レナの場合はデレツン(普段はノロケているのにたまに怖い方のレナが出る)でしょうか。もっと狭い枠ならヤンデレとか素直狂うとか。*1

レナの恐怖の真の原因を探る

しかし、実はレナの鬼気迫る恐ろしさの原因は、多重人格とかオヤシロが云々ではないと考えます。よく鉈を持ってるシーンが話題になりますし、絵になるのでイラストで描かれたりします。しかし私が一番恐ろしいと感じたのは、その手前の主人公圭一の考えをサトリのように言い当てるシーンです。よく脇役が殺される前にベラベラ謎を喋ります。謎が明かされれば物語上用済みだからです。そういう死亡フラグが立っている予感がするから恐ろしいのです。恐ろしさの原因は、そういう形式のレベルからも生じます。*2


それから安全地帯と思われていた回想シーンの変貌も凄い。メタフィクションはああいう風にやらないと全然面白くありません。自分が今虚構におり、その中で全能の存在であることを悦に浸ってカミングアウトするようなのは、中学生の演劇部員・放送部員の感覚です。*3「メタ○○」とか「脱構築的××」という手法は、ふざけたり斜な態度を取ってみせることではありません。むしろ全く逆に、本当の危機に迫った状態で命がけの飛躍を行うから面白いのです。


要するにレナの恐ろしさの原因は、死亡フラグを立てる力にあります。それは「嘘だっ!!」の時点でもそうです。ヘミングウェイの『殺し屋』ではないですが、座して死を待つ状況は恐ろしいものです。それからこれは主人公の圭一が漏らしていることですが、むしろレナが病気だったり何者かに操られていた方が気が楽な位です。そうすれば少なくとも救える余地は必ずあるはずですから。しかし多重人格や憑依ではなく、レナが本当にそういう性格で、単に素で言っている方がよほど怖いです。

フィルム・ノワールとファム・ファタール

斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ 書籍


こういう類型のヒロインはギャルゲエロゲではあまり見かけませんが、あえて言えば「運命の女(ファム・ファタール)」というタイプかもしれません。これについてはジジェクが参考になります。

ハードボイルド小説における虚偽の弁証法は、自分にはその真の賭け金が手に入らない悪夢のようなゲームに巻き込まれた能動的なヒーローの弁証法である。


文脈を適当に補足しますと、ここで言うハードボイルド(探偵)小説というのは、松田優作の「探偵物語」みたいなものです。シャーロックホームズ型の探偵でないハードボイルド探偵という類型は、例えばEVEシリーズもそうですね。弁証法というのは、「真相が二転三転」程度の意味です。「悪夢のようなゲーム」とは、ひぐらしの世界そのものですが、冒頭の傷が付いたトランプでの八百長ゲームが象徴的です。

世界のこの虚偽的な性格や世界の根本的腐敗を体現している人物、つまり探偵を誘い寄せ、「カモにする」人物は、たいてい宿命の女である。


ボンドガール@007や、峰不二子@ルパン、エイダ・ウォンバイオハザードのような、女スパイものがよく当てはまります。広く見ればマドンナ@男はつらいよもそうでしょう。*4圭一はいかにもギャルゲ的なハーレムを形成しているようで、実は何も知らないカモ同然の存在なのです。*5この性格は四人の主要なヒロイン全員が、形は違うけれども根底のところで共通して持っている性格ではないでしょうか。

いったい彼女は楽しんでいるのか、苦しんでいるのか、男を操っているのか、それとも彼女自身が操られているのか、どうしてもはっきりしない。


レナだけでなく、次の魅音(詩音)などもそういう印象です。

ヒステリー化の彼岸で彼女を待っているのは純粋な形の死の欲動である。


ここでのヒステリーは、差し当たっては本編での多重人格とか狐就きのようなモチーフです。死の欲動というのは、セカイの真実を知ろうとするとき(本編ならダム工事や祟り云々への主人公の興味)に、必ずつきまといます。というかむしろ、死が付随するときに真実味が出てくるということです。なぜなら、誰にとっても死は最も現実的なもの、その人に絶対的に固有のものだからです。そして、死の欲動は男を巻き込むだけではなく、結果的には自分も呑み込んでしまう点で、「運命」の女と言えるのです。

まとめ

今回はライバルとヒロインの合併としての運命の女について見てきました。圭一は探偵ではなく普通の学生ですが、ひぐらしは一応はミステリの形態を取っているので、ヒロインが運命の女という類型になるのは自然です。伝統的なモチーフを継承しているのが意外ですが、逆に言えば工夫しだいで、新しいキャラの造形は幾らでもできるということです。


Fateの方があまり触れられませんでしたが、そもそも聖杯戦争が運命(Fate)の舞台であって、主要なヒロインはみな運命の女という容貌を帯びてきます。セイバーは正統な戦闘美少女という印象の方が強いですが、士郎を守るだけではなく、ゲーム(聖杯戦争)を突きつけてくる点では、共通点があります。*6


総まとめをすれば、Fateひぐらしは共に失敗した成長物語(ここでは成長=コミュニケーション)という枠組みを持ち、コミュニケーションの不安に合わせて、主人公は葛藤型ヒーロー、ヒロインは解離型ヒロインになる、ということになります。意外と簡潔な図式です。


三回にわたってFateひぐらしの考察をしてきましたが、扱えなかったところも多いし、需要があるようなので、またやりたいところです。俯瞰して見取り図を描いているので、複雑な細部を見落としているところも多々ありますが、とりあえずは従来の作品群とどういう関係にあるのかということだけ説明できれば満足です。

*1:二重性で言えば、桜@Fateも解離型ヒロインかもしれません

*2:だから形式の異なるアニメで同じように描くのは難しい

*3:凡庸な同人作品でよく見かける

*4:最後は恋愛が破綻し、手紙という形になってしまう点で、ひぐらしと共通点がある

*5:ハーレムが噂のネットワーク(レナと魅音がコソコソ話したり)に反転してしまうところも、男の盲点を突いていて恐ろしい

*6:あくまでセイバーは騎士であって、例えばただ主人に服従するメイドとは違います