エロゲにおける処女・学園・ノスタルジー

幻想空間での処女の価値

下級生2のたまきが何と非処女であったため、
エロゲーマーが大騒ぎした件は記憶に新しい。
だがなぜ処女に大きな価値があるのだろうか。
エロゲの攻略キャラの処女率はきわめて高い。
エロゲーマーには当たり前だが改めて考える。


女性は自ら産んだ子供は自分の子供だが、
男性は自分の子であるという確証がない。
この対策として最初の段階で処女を選ぶ。
これは有力な理由だが、更に考えてみる。
現実的な事情だけではなくて、エロゲの
ような幻想での力学を持っているからだ。


最初に思い浮かぶのは処女は純真である、
という理由だが、これはこういうことか。
美少女かつ処女である場合は、男と関係
を結ぼうと思えば容易に達成できるにも
関わらずそうしないのは、ひとえに純真
だろうということで、だから重宝される。


だがこの程度の説明では、男性が女性を
商品のように所有しながら(ハーレム)、
泣きゲのようにプレイヤに感動を与える
資本主義かつ家父長的なエロゲの制度の
全貌がまだ見えてこない。そこで以下で
更に処女の構造を考えていくことにする。

処女膜はパッケージである

恋愛市場においては、処女は新品で、非処女は中古品である。
そして処女膜は子宮の包装紙である。パッケージをビリッと
破ってしまえば、オークションでの値打ちも下がってしまう。
本屋で本を買うとき手垢がつかない下から二冊目以降を買う。
ただし、「人妻」のようにビンテージが発生することもある。


しかし、男の童貞には価値がない。*1これは、どういうことか。
処女が新車なのに対し、童貞はペーパードライバーだからだ。
男が能動者(買い手)で女が受動者(売り手)であるという、
家父長的制度と資本主義制度が融合した価値観を処女は示す。


ついでに言うと、包茎は若葉マークだが、ショタにおいては
男の処女膜として機能している。もちろん処女膜の一回性は
ないが、カップルの一対一性に対する友情の普遍性と同じだ。
だから恋愛による閉鎖共同体の生成を禁止する組織集団では、
その代理物としてしばしばホモセクシュアルな空気が生じる。

リスクプレミアム

だがくどく追求すると、なぜ新品は中古より価値があるか。
新車や新築の家を考えてみるとリスクが少ないからという
理由が挙げられる。古くなると故障も多くなる。特にPCの
ような複雑な機械では、故障があってもすぐに分からない
場合があり、だから不完全情報の市場では、ジャンク品は
ジャンク品にとどまるのである。資産価値は減価償却する。


ただし、新品ロットに故障が多いという現象はよくある。
現実に運用されている中古の方が、かえって価値がある
という場合はないこともない。それを性的な意味でいうと、
エロゲの序盤でエロシーンが全くないのではないかという
プレイヤーの不安を払拭し希望を持たせるために出てくる、
性体験が豊富で主人公を誘惑してくるキャラが当てはまる。


リスクのうち、後の話につながる不自由性に注目してみる。
例えば中古の本で、マーカーで線が書き込んであるものは、
きわめて使いづらい。本の価値の一部には、自由にマーク
できるという可能性も含まれているが、それが固定される。
これと同様に、処女の方がオレ色に染め上げることができ、
価値が高いという発想なのであろう。もちろん幻想である。

資本と所有

処女航海や処女地などというが、資本主義の初期における
植民地的なシステムや、著作権のようなオリジナルを重視
する仕組みは、資本主義の根幹的な制度である「所有」に
関係がある。ある対象がある所有者に帰属するシステムは、
つまりはツリー(木構造)だし、金や貨幣にほかならない。
このピラミッドは、もちろん家父長制の血縁制度でもある。


(資本主義的な商品になる地点まで)性が開放されたときに、
そのメリットとデメリットは、男女の間で全く非対称になる。
女性資産は、一部の金持ち及びイケメンが独占し、だから
非モテオタクは三次元市場から撤退する。電波男的な構図だ。
家父長制は虚構(しかもエロゲも資本主義の商品でしかない)
の中でハイブリッド化した奇妙な形で生き延びることになる。

学園という装置

しかし、こういう構造が意識されてしまっては、泣きゲたりえない。
そこでエロゲでは現実を隠蔽するノスタルジーの装置が必要になる。
ここで学園ものが有力な方法として浮上してくる。もちろん学園が
エロゲの舞台になりやすいのは他に色々な事情があるが、ここでは
処女と関連した視点のみから考察してみよう。まず学園生は年齢も
低いだろうから処女でも自然である。しかしそれだけではないのだ。


本来ナンパして処女を見つけるというようなシステムでもよいはずだ。
だが「学園の処女」は、それと違う特別な意味を持っているのである。
以前「髪型の法則」で、髪と性格の間の関係を指摘したが、ここでも、
たんに学生で、かつ、処女であるということではなくて、関連がある。
学生が社会的に見てモラトリアムであるということと、処女が性的に
見てモラトリアムであるということは相同である。それだけではない。

ノスタルジーとタイムスリップ

エロゲのプレイヤーは成人だという約束になっているのだから必然的に、
プレイヤーにとって学園の舞台は、モラトリアムへの回帰・回顧になる。
バックトゥザフューチャーのように人生やりなおし機として、限定的に
タイムトラベルを行う(仮想戦記のように歴史を変える程ではなくて)。
エロゲにおいてはこれは思い出や回想と選択肢の関係により実現される。
そもそも、アルバム・回想モードのコンプのために、何回もゲームを行う
という行為自体が、自覚しないままタイムトラベルになっているのである。


ノスタルジーをもう少し追う。一般的にノスタルジックな演出の技法は、
情報量を少なくする。例えばセピア色やモノクロの画面にするのが一つ。
もともと過去の記憶は薄れているからこれは自然なのだが、一方ポルノ
の一般的な演出は装飾過剰である。「風俗」的なそれをイメージしよう。
色彩豊かで強い表現になっている。だから泣きゲはポルノでありながら、
一般ポルノ的な表現と逆のベクトルに向かう例外的な存在になっている。
323絵とその塗りが、淡い方向に向かうことと関係あるかもしれない。

処女・学園・ノスタルジー

資本主義に組み込まれつつ疎外される家父長制、
恋愛市場から撤退する非モテ系オタク、
社会的モラトリアムである学生と
性的モラトリアムである処女、
そして何度も「回想」するノスタルジー
タイムパラドックスのシステム。
ジャギやアニメ塗りから淡いエロゲ塗り(F&C塗り)へ。
これらが交錯するのがエロゲという場所である。
エロゲ単なるポルノでなく泣きゲたりえるのは、
プレイヤーにオルタナティブを提供するという需要があり、
かつ、エロゲのシステムがその実現に向く(よう進化する)からだ。

*1:日本の童貞 (文春新書) 時代で違う。ここでは資本制から考える