国の借金は税金と同じで、国債を増やせば税金が増える

概要

 「国の借金が1000兆円」という話題があります。しかしネットでは、「国債は資産だから、むしろどんどん増やせばいい」という意見もあります。これは本当でしょうか? そこで、国債とは何か説明していきましょう。

主張

国債と税金は徴税のタイムラグに過ぎない

命題:国の財政は、税金と公債のどちらで払っても、負担という点では基本的に変わらない

 まず最初に、結論を一言でいえば、「国の借金」(国債などの公債)は、税金と同じです。

 だから、国債を増やすというのは、税金を増やすことと実質的に変わりません。上の記事で書いたように、どういう形であれ最終的には国民が負担します。

 国の借金(国債)は税金と同じ。借金が増えれば、(将来的な)税金も増えます。

 シンプルな話ですよね。税金にしろインフレにしろ、借金はいつか必ず清算されます。だから国民の負担という点では、国債と税金は変わりありません。

 国債と税金が違うのは払い方の違いです。負担という点では同じです。商品を買うのに、現金で買ってもクレジットやローンで買っても、結局は負担ですよね。

 公債というのは「予約された徴税の権利」、つまり税金のローンを分割払いするようなものです。国債が1000兆円あるなら、同じだけの税金または歳出カットが確定しています。

 だから、いま国の借金が1000兆円ということは、将来的に税金が1000兆円かかるということです。国民ひとりあたり約780万円の税金を払うことが確定しています。

 なお、税金ではなく紙幣を刷ってインフレにしても、資産転移による実質的なインフレ税であって負担は変わりません。消費税がイヤならインフレでも払えますが、負担という点では同じことです。

 「家庭内の借金のようなものだから問題ない」「バランスシートが釣り合っているから資産でもある」「お札を刷ればいくらでも返せる」などと、色々なことが言われていますが、結局はなんと言おうが借金は借金。

 公債の実体は税金の徴税タイミングのズレに過ぎないのに、なんとなく税金より軽いとか、それ自体に価値があるような錯覚を人は覚えます。しかし、理論上は税金との差や公債自体の価値はゼロです。

 「いくらでも税金を増やせ」という人はほとんどいませんが、「いくらでも国債を刷れ」という人はもっといます。「いくらでも紙幣を刷って国債を返せ」という人はそれよりもっとたくさんいるでしょう。しかし、これらは本質的には同じことなのです。

 借金や税金がいくら増えても大丈夫、と考える人はいないでしょう。でもなぜか、国債ならいくら増えても大丈夫だと錯覚してしまう人がいます。これが財政錯覚。

 「国債分の税金が浮く政策がある」と考えるのは、とても甘いと思います。もし、それができるなら、無限に国債を発行して、無税国家を実現すればよいでしょう。そんなうまい話はありません。

 紙幣と同じように、国債自体は財ではありません。使用価値がなく、交換価値しかありません。だから、財政規模や実体経済の成長に見合った分しか刷れません。

 国債はいくら刷っても大丈夫だ、というのはバブルの論理です。借金をしてでも土地や建物を買え。借金をしてでも株を買え。借金をしまくって膨らませたほうが儲かるんだ。しかし、現実にはどこかで破綻します。

 「国の財政は家計とは違うから大丈夫だ」などと言って、国の徴税権や通貨発行権を強調する話はよくあります。しかしそれは、いざとなれば国民から財産を没収すればいいと言っているに過ぎず、それでは国家は破綻しなくても国民が破綻します。

 「国債なら大丈夫」という論法は、「朝三暮四」の故事を思いださせます。公債三・税金四の割合で財政をまかなおうとすると反対が多い。そこでこれからは、公債四・税金三でまかなうことにしよう……。

リフレなど現在の政策との関係

 こんなことを言うと、「消費税増税を押し付けようとしているんだ!」などという声があるかもしれません。もちろん、税金は国民にとってイヤなものです。

 しかし、国債を押し付けられた時点で、あとはいつ払うかという税金のスケジュールの話でしかないのです。インフレで払うとしても、それは支払い方法の話でしかないのです。

 だから、そもそも国債をかんたんに増やしてはいけないのです。税金やインフレで支払う段階になってからではどうにもならない。

 増税がイヤなら歳出カットやインフレでもいいですが、どのみち国民の負担なのは変わりません。だから、かんたんに借金を増やしたらいけません。借りはよいよい、返すは怖い。

 重要なのは、目の前の税率や景気ではなく、長期的な財政再建構造改革なのです。

 たとえば、200兆円の公共投資というのは、200兆円の税金です。国債で払っても200兆円の税金と同じです。ひとりあたり150万円の負担になります。公共投資景気対策だろうが何だろうが、必ずそれが必要かどうかを判断しなければなりません。

 ただし、誤解されそうな点を断っておきます。ひとつ目は、インフレターゲット(リフレ)が成立するかどうかは状況によりますが、デフレから脱却するまでの短期的なリフレ政策は有効かもしれません。

 もしマイルドインフレが可能なら、リフレが一番いいとさえ思っています。でも、実際はリフレ派が考えているより実現が難しいです。また、それは財政赤字を削減するための手段であって、際限なく国の借金を増やすだけの方便にしたらダメだとも思っています。

 私自身、インタゲとかリフレに興味があって、経済学者の主張に目を通してきました。リフレはデフレギャップを埋めるまでの話で、インフレ達成後は別の政策が必要だというのは、まともなリフレ派自身も言っていることです。ネットではいつの間にか「借金はいくら増やしてもよい」という話になっていますが。

 もうひとつは、構造改革には傷みがともなうので、セーフティネットを整備することが非常に大事だと思います。私はセーフティネットが重要だと思いますが、それは構造改革セーフティネットか、どちらかの二択ではありません。

公債の中立命題についての補足

命題:国の財政は、税金と公債のどちらで払っても、負担という点では基本的に変わらない

 なお、議論を単純化するために、この命題の証明はしませんでした。これは経済学でいう「公債の中立命題」を元ネタに単純化したものです。

  公債の中立命題が成立するかどうかは、経済学者でも賛否が分かれています。複雑になるので細部には踏み込みませんが、この命題が成立するかどうかは、いろいろな条件が必要になります。

 たとえば、このテーゼをパッと見ると、公債は利払いがあるので、税金より公債のほうが支払いが膨らむのではないか、という単純な疑問が浮かぶかもしれません。

 これについては、元ネタのほうでは、国民は浮いた分の税金を将来の課税に備えて貯金するので、同じだけ利子が生じて打ち消す、というような説明になっています。

 しかし、現実の経済では、人間が経済合理的に行動するという前提も成立するとは限りません。それに、公債で払うと財政規律の低下や利払いによる財政硬直性、世代間格差が生じがちです。

 財政削減は官僚が反対、増税は国民が反対、という公共選択のメカニズムで、公債による財政赤字が選ばれがちです。現にバブル崩壊後、一貫して財政が悪化しています。

 だから、公債より税金で払ったほうが、長期的に財政が健全化する、と私は考えています。

 つまりじつは私自身、単純にこの命題を100パーセント信じているわけではありません。理論上は税金と公債の差はゼロですが、現実には公債に金融不安というマイナスのリスクがあると思います。

 現実の経済には資金繰りや破綻リスクというものがあります。現段階では財政が短期間に破綻するリスクはまだ低いと思いますが、けっしてゼロではありません。

 リフレ派の中でも、財政政策重視でケインジアン寄りのリフレ派は、財政出動をともなった公債にマクロ経済効果によるプラスの効果があると思っているふしがあります。しかし、公債の中立命題あるいは「合理的期待形成理論」が成立するなら、「非ケインズ効果」も生じます。

 一方、金融政策重視でマネタリスト寄りのリフレ派もいて、私がリフレもいいと思うというのはこちらに近いです。リフレが金融緩和だけでできれば一番いいですが、現実には金利上昇による国債価格の下落や利払いの上昇というリスクがあります。

 最後になって経済理論の細かい論点になってきましたが、詳細な議論は別の機会にゆずります。この記事で私がもっとも批判したいのは、「国の借金はむしろ財産だから、いくら増やしても問題ない」というレベルの話です。

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