「国の借金 1000兆円」は、だれがどう返すのか?

概要

 よく、「国の借金が1000兆円」などと話題になります。しかしネットでは、「家庭内で借金しているようなものだから、返す必要がない」「むしろ、政府が国民に借りているのだ」「本来は国民の貯金や資産と言うべきだ」という意見もあります。これは本当なのでしょうか?

 そこで、「国の借金」というのは、そもそもだれがだれに借りていて、どうやって返す借金なのか、説明していきましょう。

主張

 まず断っておくと、「国の借金」に何をどこまで含めるかで、借金の額が変わるので、議論の余地はあります。国債だけで約1000兆円というのは、2022年に達するという推計ではあります。が、政府短期証券なども含めると、2012年末ですでに1000兆円近くあります。

 しかし、この記事のテーマは「だれが払うか」で、借金額の正確な算出が目的ではありません。「1000兆円」とか「ひとりあたり780万円」という言い方は、分かりやすくするための目安だと考えてください。単純な論点への反論なので、単純化した議論をします。

国債とは国の発行する債券です。

http://www.mof.go.jp/jgbs/summary/kokusai.html

国債は、国が発行し、利子及び元本の支払(償還)を行う債券です。

http://www.mof.go.jp/faq/jgbs/04aa.htm

 借金をしている国自身はどう説明しているのか。財務省のサイトを見てみましょう。それを見れば、「国の借金」に公債が含まれるのは確かなようです。

 国債は政府が発行する債券なのだから、日本政府が借り手なのは分かります。国債の所有者が貸し手なのも分かります。では、所有者は具体的にだれでしょうか?

 そこで、日本銀行が公開している資料*1を見ると、貸し手のほとんどが国内の金融機関です。

 たとえば、日本銀行、ゆうちょ銀行、その他の銀行、保険機関、年金機関などです。ただし、海外8%、個人2.5%の保有もあります。

 まとめると、「国の借金」が国債を指すとするなら、政府が国債の所有者に対して借りている債務のことです。現時点での主な所有者は国内の金融機関です。つまり、国が銀行などに借りています。

 そして、国債は法律*2に基づいて政府の財源となるので、国民が税金で払う義務を負います。

 したがって、実質的に国民の借金です。国の借金は国民の借金です。

 約1000兆円を1億2千7百万人で割れば、ひとりあたり約780万円。国民が銀行にひとりあたり780万円のローンを借りているようなものです。4人家族なら3120万円。住宅ローンが一軒分増えるくらいありますね。

 もちろん、国民ひとりひとりの課税額が違うので、実際の負担額は個々で違います。Aさんは500万円かもしれませんし、Bさんは1000万円かもしれません。また、耳をそろえて返すのではなく、返済は何十年にもわたることでしょう。歳出カット、増税、インフレ、と払い方もさまざまです。

 しかしともあれ、最終的に国民全体でそれだけお金を払うのは確実です。国の借金が1000兆円というのは、国民ひとりあたり780万円の借金があるということです。マスコミが伝えている通りの意味です。借金は借金です。

 まとめて、この記事のメインとなる主張を立てておきましょう。

主張:「国の借金」(国債などの公債)は、いかなる形であれ最終的には確実に国民が払う。よって、国の借金とは実質的に国民の借金である。国の借金が1000兆円なら、国民ひとりあたり約780万円の借金を抱えている。

(仮想)反論

 このテーゼに「当たり前じゃないか」とか「やっぱりそうだったのか」と思う人がいれば、「そんなはずはない」と反応する人もいると思います。後者の人に対して、ありそうな論点を想定して答えていきます。

反論:国の財政(国債)は破綻しない。

 国債が破綻しなかったのならば、約束通り支払われているはずです。これは先の主張に対する反論になりえません。

反論:逆に、政府が借金を踏み倒して、銀行に押し付ければいい。

 国債が破綻したのならば、銀行単体の資産では足りないので、銀行に預けている国民の預金で払うことになるでしょう。では、銀行に貯金がない人は問題ない? いや、年金や保険の機関も国債を買っていますから、国債を破綻させたら年金や保険も連動して破綻するでしょう。

 なお、ここでの論点は、破綻するかどうかではありません。破綻しようがしまいが、いつか払うものは払われるということです。

反論:「国の借金」とは政府の借金であって、国民の借金ではない。むしろ国民の貯金である。

 政府の借金は国民の借金でもあります。ただし、個人で国債を所有する国民がいます。この約3%分は貯金でもあると言えるでしょう*3

 しかし少なくとも、国債を持たない個人に債権の支払いはありません。97%の国債は、国民にとって貯金ではなく借金です。払うだけで、もらえません。

反論:
 国家の財政は個人の家計とは違う。「国の借金」はほとんど国内で消化されている。すると、国の借金は貯金でもあるから、国全体ではプラスマイナスゼロになる。

 これは家庭内の借金のようなものだ。あるいは、国民がひとりの場合を想定しよう。彼は国債の借り手であり貸し手でもあるので、ポケットの左右で国債と日銀券を移し替えるだけで、借金は帳消しになる。

 海外保有の8%をのぞき、92%は国全体で相殺されるというのはそうです。しかし、金融機関はプラスでも、個人の国民はマイナスです。つまり、均等に配分されません。

 家庭内で借りたお金は、国全体で相殺されます。しかし、消費者金融に借りても相殺されます。家庭と違って消費者金融に対して、借りた個人の視点では「借金は貯金でもある」とはなりません。払うだけで、もらえません。

 また、国民がひとりならたしかに帳消しになりますが、ふたりなら国債を多く持つほうの貯金であり、少ないほうの借金です。それを強制的に移し替えるのなら、たとえふたりでも財産没収であり破綻です。「国民ひとり」を前提にしたこのたとえ話は、子供だましのトリックではないですか。

反論:銀行は国民から預金という形で借金している。だから、「国民→政府→銀行→国民」という形でグルッと一周まわって、国債はパーになる。

 国債と預金は別です。国債を回収したときに、銀行から国民へは支払われません。銀行のところで止まります。金額の帳尻を合わせているだけであって、又貸しで連動しているわけではありません。780万円以上の預金がある個人は、プラスが残るというだけの話です。

反論:国全体の資産が何百兆、何千兆円とあるから、埋蔵金を支払いにあてればよい。

 「国全体の資産」については、じつにいろいろな額が提示されています。しかし、ネットで期待されているほどはありません。なぜか? まず、資産と負債を見合いにすると、額は少なくなります。

 国の資産のうち土地や建物などの場合は、額面通りに売れるか疑問です。またたとえば、道路や河川のように売りにくい資産があります。だから、現金化できる国の資産では足りないでしょう。

反論:足りないにしろ、支払いにあてれば、債務残高は減るだろう。

 もちろん減るでしょうが、そもそも政府の資産は国民の税金によって買われているはずです。だから、ひとりあたり780万円払うことに変わりありません。払った国民が過去世代ではありますが、将来的に資産の買い戻しが必要な場合は同じです。

反論:じゃあ、その国有の道路や河川なんかを有料化して、自動車や船舶から通行料を取ればいいじゃないか。あと建物をレンタルするとか。

 もし、建物や道や川を有料化したら、それは一種の税金です。商品コストに転化され、消費税のように作用するでしょう。

反論:国債の1000兆円に対応する1000兆円分の資産がないと、バランスシート的におかしい。そして、国債という負債が増えるほど、対応する資産も増えていくのだ。だから、どんどん増やせばいい。

 資産と負債が釣り合うのは、会計上の約束事に過ぎません。

 建設国債の場合、道路や橋がありますが、こういう建築物の多くは建設費の値段で売却できないでしょう。たとえば、これは国債ではなく年金の運用ですが、「グリーンピア」は建てるのに2000億円かかっても、売るのは50億円でした。

 赤字国債の場合、福祉や医療のサービスなど、ヒトに使われた分は回収できません。「臓器を売れ」などという取り立てでは困ります。将来の歳出カットでも債務を減らすことはできますが、結局は歳出カット分の税金で払っています。

 政府の国債残高と国民の金融資産も、べつに釣り合っているわけではなく、両者の差はどんどん近づいています。これから高齢者が預金を崩して生活費に使っていけば、国民の貯蓄はもっと減っていくでしょう。そして、国債を増やすことで国民の貯金も増えたりはしません。

反論:国家は永続的なので、借り換えによって支払いを先送りすればいい。

 国家が永続的だとすると、いくら先送りしても、必ず将来の世代が払うことになります。そうだとしても、100年も先送りすれば、少なくとも自分の代では払わなくても済むでしょうか?

 しかし、これは利払いのことをすっかり忘れています。現在の水準なら毎年10兆円の国債の利払いが生じます。元本の1000兆円は残ったままでも、100年で1000兆円を利息という形で支払うので同じです。この利息は国民ではなく、国債の所有者がもらいます。

 もちろん、100年というスパンに対して、これはいくらなんでも単純すぎる話です。今は低金利ですが、金利が上がれば利息はもっと増えます。10年後に利払いが20兆円に膨らんでいるという試算もあるようです。

反論:国(日銀)は通貨を発行できる。いざとなったらどんどん万札を刷ればよい。打ち出の小槌があるので、いくら借金しても困らない。

 カネを刷っただけでは、対応する商品=モノが増えません。モノに対してカネが多いので、カネの価値が下がっていきます。すなわち、通貨の発行が増えるとインフレになります。

 単純に考えて、インフレで物価を倍にして、借金の1000兆円を実質500兆円分に目減りさせたとします。しかし、国民の現金や貯金が1000兆円あったとすると、これも500兆円分に目減りします。しかももし、1200兆円なら600兆円が減ります。

 つまり、国がお金を刷っても、インフレ税という形で、結局は国民が払います。インフレ税ならタンス預金からでも、資産移転という形で取れるのです。

 タダより高いものはなし。経済にフリーランチ(ただ飯)なし。借金帳消しの上手い話はありません。あれば無税国家が実現できます。借金を作っておいて、だれも払わなくて済む方法などありえません。破綻でも税金でもインフレでも、必ずだれかがツケを払います。

反論:借金の額だけに注目しても意味がない。家計と違って国家経済レベルでの借金は「悪」ではない。100年前の明治の時代は、国家予算も国債も「億」の単位だった。貨幣単位と歩調を合わせて国債が増え続けるのは、歴史上の必然である。

 たしかに、借金の額「だけ」に注目しても意味はありませんが、GDPや国家予算など他の指数との比や年代比較、国際比較に注目することは意味があります。それが悪化していれば借金が増えている、という当たり前の事実は変わりません。

反論:インフレになれば好況になるので、税収増で払えばよい。

 インフレになるかどうか、好況になるかどうかはともかく、「だれが払うか」というテーマにおいては、税収で払うなら国民が払うことに変わりありません。収入になるはずだった分を払っています。増分で実質的に相殺しようという話であって、払わなくて済むわけではありません。

反論:海外に移住すれば関係ない。

 たしかに移住者にはあまり関係ないですが、海外に出て取れない人の分は国内から取るので、残った国民全体の負担は変わりません。ひとりあたりの額は780万円より増えますが、総額は変わりません。

 ところで、大企業や富裕層が海外に資産転移すると、今まで「日本全体ではプラスマイナスゼロ」としてきた論点が崩れてしまいます。これからは、海外に出るほど資産がない国内の人間が払い、その富が海外に流出していくというだけの話です。

反論:借金を認めて誰が得するんだよ! 悪いのは政治家(官僚/学者/銀行/富裕層/外国/……)だ!
 そんな風に財政危機論に誘導するとは、消費税増税財務省/反リフレ/反アベノミクス/……)の工作員だろう! 

 消費税を増税するとかしないとか、リフレやアベノミクスを支持するかどうか、といったことはこの記事のテーマではありません。増税しようとしまいと、歳出カットしようとしまいと、どの党や政治家を選ぼうと、借金のツケはいつか必ず払われるということがテーマです。

 それ以前に、国の借金が1000兆円あるとはどういう事態なのか、という基本的なことを押さえなければ、議論の前提が成立しないと思いました。

 また、検索によく引っかかる質問掲示板や掲示板のまとめブログでは、上の「反論」で示したような主張をよく見かけました。そこで、人々の将来リスクの見積もりを見誤らせるのではないかと思い、この記事を書いたのです。

 もし、払わなくてもいいと楽観的に考えていた人にはショックかもしれませんが、現実から目をそむけたら、積み上がった借金が消えてしまうわけでもありません。ツケを押し付けてきた政治を変える力も生まれません。

 結論として、大多数の国民にとって「国の借金」とは、文字通りの借金にほかなりません。

*1:資金循環 :日本銀行 Bank of Japan 2012年第4四半期の資金循環統計による。ただし、これは政府短期証券も含んでいる

*2:財政法や特例公債法

*3:また、銀行のような法人も「国民」と表現するなら貯金ですが