映画『叫 ―さけび―』 ――斬新な幽霊像を描くポストモダンホラー

概要

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情報
紹介

監督は「CURE」「アカルイミライ」「LOFT」の黒沢清、主演は、「THE 有頂天ホテル」や、「バベル」「SILK/シルク」など、国際的な活躍も目覚ましい役所広司。そして、プロデューサーには、「犬神家の一族」「Jホラーシリーズ」の一瀬隆重、さらに今夏公開予定の2作品、「呪怨 パンデミック(原題:THE GRUDGE 2)」、中田秀夫監督「怪談」をプロデュース、発売日近辺には、更なる盛り上がりが期待できそう!共演は、小西真奈美(UDON、キラキラ研修医)、伊原剛志(硫黄島からの手紙) オダギリジョー(東京タワー、蟲師) 加瀬亮(それでもボクはやってない) そして3年半振りにスクリーンに復帰した葉月里緒奈(スパイゾルゲ)とまさに日本を代表する豪華キャストが集結!

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

 東京湾岸で、赤い服を着た女の遺体が発見された。捜査にあたった刑事・吉岡登(役所広司)は、同僚の宮路徹(伊原剛志)とともに犯人を追う。

 海水に溺死させるという手口が似ていることから、連続殺人事件として捜査が進められた。だがそうした中、各事件の周辺には、吉岡に関連した証拠が見つかる。自分が犯人ではないか、という疑念に吉岡はさいなまれた。

 そんなある日、発端となった事件現場を訪れた吉岡の前に、赤い服を着た女の幽霊(葉月里緒菜)が出現した。吉岡には恨まれる覚えは全くなかったが、幽霊は彼のもとに何度も現れる。

 吉岡は、彼の恋人・仁村春江(小西真奈美)に見守られながら、自らの無実を証明し、幽霊から解放されるために、単独で事件の調査に乗り出していく……。

解説

耽美主義的ポストモダンホラー

 『Jホラーシアター』シリーズ*1・第3弾の作品。本作の画面構成は、耽美主義に支配されている。すなわち、怖さだけにこだわらず、心地良さを優先している。ホラーということで暗くはあるのだが、ただ陰々滅々として殺伐としただけの世界観ではない。むしろ、暗さの中にロマンを感じさせるのだ。

 腐敗した死体、残酷な殺人など、目をそむけたくなる醜いものをもっと多用すれば、さらに怖く撮ることもできただろう。しかし、黒沢清監督はそれを選ばなかった。とくに赤い服の幽霊(葉月里緒菜)に関しては、目を釘付けにする美しいショットを撮っているのだ。

 『パトレイバー』もそうだったが、本作は東京湾岸を舞台にしている。お台場あたりを実際に訪れると、無機質な街という印象だが、本作はそれを感傷的な情景に仕上げた。吉岡が住む団地、彼が務める警察署、廃墟の撮り方にも、独特の美学が感じられる。

 B級的な演出でも何でも、とにかく怖いシーンがたくさんある、という作品ではない。だが、心地良い廃墟のような耽美的な世界に浸れる作品は貴重だ。娯楽性と芸術性を兼ね備えており、「2006年度ヴェネチア国際映画祭正式招待作品」となっているのもうなずける。

 そして、本作は新たな幽霊像を模索している。まるで、普通に日常を生きているかのような斬新な幽霊像だ。この幽霊像は、内在的な恐怖を描くモダンホラーに対置して言えば、「ポストモダンホラー」と言えよう。

過去の真実の象徴としての幽霊

 ストーリー面を見てみよう。「本格ミステリー」というほどには、謎解きを重視しておらず、ジャンル区分としては、ホラーサスペンスのほうが適切だと思う。しかし、物語の展開は大筋で明快だし、人物の感情も理解できた。

 物語中にも精神科医が吉岡に語る場面があるが、この作品における幽霊とは、再来する過去の真実の象徴となっている。すなわち、過去を「なかったことにしようとする」ことを許さない過去の声であり、それは叫びとして表現される。

 いっぽう、地震も叫びと同様に過去を表現するモチーフになっている。そこが海だったという過去を、埋め立てによってなかったことにしようとしても、地震によって液状化してしまう。つまり、過去の記憶を想起して、現在の地盤が揺らがされることの象徴なのだ。

 後半、幽霊が吉岡を許す場面がある。この「許し」は、「叫び」による告発と対になっている。そして、「叫び」の後に「許す」幽霊と、「許し」の後に「叫ぶ」幽霊がいる。前者にとっては対象が大勢の中のひとりでしかないから、後者はとってはかけがえがないから、そのような順番になっている。ふたりの幽霊の対比は見事だと思う。

 吉岡が犯人を許してしまったことは、倫理的に疑問がある行動だった。犯人は、相手の身勝手さが許せなかったのだろうが、殺人こそ最も身勝手な行為ではないか。前半で犯人に説教したこととも、明らかに矛盾している。

 だが、その部分については、吉岡が罪を清算するシーンがあって、カットされたようだ*2。また、許しが持つ権力性を描くという意図が監督にあったらしい*3。刑事と犯人にしろ、幽霊と人間にしろ、許しは権力上位者の特権だ。だが、その許しも過去を「なかったことにしようとする」行為であり、やはり盤石な地盤の上には立っていないのである。

ポストJホラーの幽霊像

 本作の幽霊像を見てみよう。そもそも、標準的なホラー映画における幽霊は、登場人物の主観を通して存在するものとして描かれる。つまり、物質的な身体を持った人間とは異なり、幽霊は「見える人にしか見えない」。

 だが、本作では、昼間に路上を幽霊がひとりで歩くシーンがあった。つまり、幽霊が客観的に存在しているように表現されている。さらに、幽霊が普通に扉から出て行ったり、ヒーローもののように空を飛んだりする、コメディと紙一重のシーンもあった。

 ビジュアル面を見てみよう。赤い服の幽霊は、貞子や伽椰子のようなギクシャクした動きではなく、スーッとなめらかな動きだ。静かに迫る黒い長髪の女、という部分だけ見れば古典的な幽霊像ではある。

 が、ムンク「叫び」のイメージだろうが、鮮やかな赤い服と、かん高い叫び声が、強く印象に残った。白い服を着ている、喋らない*4、ぼんやり表現されている*5、といったJホラー型幽霊の約束事*6を破っている。

 Jホラーの中には、それなりに怖いけれど、全く思い出せない、という幽霊がたくさんいる。が、赤い服の幽霊は、その姿がはっきりと記憶に残った。ホラーキャラクターとして魅力的なのだ。

 最後の閑散とした街を吉岡が行くシーンは、新聞紙が転がっているだけで、赤い服の幽霊の呪いでゴーストタウンになった、と解釈するのは難しい。そこまでいくのは飛躍している。が、要するにセカイ系のような感覚で、赤い服の幽霊によって世界が補完された、と考えると分かりやすい。

 新しい幽霊像を描いた本作は、Jホラーの「ゴッドファーザー*7」である黒沢監督が、新たな分野の開拓に挑戦した意欲作だ。

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*1:このシリーズをプロデュースした一瀬隆重は、『リング』『呪怨』の製作・プロデュースにも関わっている、Jホラーブームの仕掛け人

*2:アナザーエンディングの存在

*3:監督のインタビューによる

*4:劇中、棒読みで喋る

*5:ただし、ピンぼけによってぼんやり感を出しているシーンもあるが

*6:要するに「小中理論」

*7:監督・黒沢清『回路』のハリウッドリメイク作『PULSE』のトレーラーから。そこで「Godfather of J-Horror」と称された