映画『仄暗い水の底から』 ――水が叙情的に描くウェットな恐怖

概要

仄暗い水の底から [DVD]

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情報
紹介

『リング』で日本中を世紀末ホラー・ブームへ巻き込ませた中田秀夫監督が、再び鈴木光司・原作に挑戦したホラー作品。夫と別居し幼い娘と一緒に古びたマンションに引っ越して来た淑美(黒木瞳)。しかし、まもなくして恐るべき怪奇現象の数々が、じわじわと母子に襲いかかっていく…。
単に恐がらせるだけの作品ではなく、子を護ろうとする母親の心情に焦点を当てたエンタテインメントに仕上がっており、ドラマが進行するにつれて恐怖度が増していくのはもちろんだが、比例してヒロインのせつなさや哀しみも増幅していく。黒木のきゃしゃな体躯(たいく)が、さらにか細くもたくましい母の存在感を際立たせてくれている。全編、水を意識させた中田演出も『リング』より一段とゆとりを感じさせてくれる。(的田也寸志

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

 松原淑美は、夫・浜田邦夫と離婚調停中で、5歳のひとり娘・郁子の親権をめぐって争っていた。

 彼女と娘が入居したマンションでは、雨漏りにはじまり、水道に髪の毛が混入していたり、子供用のバッグが落ちていたりと、奇妙な現象が起こる。さらに、姿の見えない友達と会話するなど、郁子に奇行が見られた。

 郁子と同じ幼稚園に通っていた女子児童・河合美津子は、2年前に行方不明となっている。そのことを知った淑美は、淋しがっている彼女の霊が、郁子を連れ去ろうとしているのではないかと疑う。

 そしてついに、美津子がふたりの前に姿を現して……。

解説

水が叙情的に描くウェットな恐怖

 「水」のモチーフは、日本ホラーになじみ深い。その理由を一言でいえば、雨が多く海に囲まれた日本の風土に合っているからだろう。水自体だけでなく、水に関係した場所もよく出てくる。たとえば、江戸時代の『番町皿屋敷』にしろ、平成の『リング』にしろ、井戸が怪異の場所となっている。

 水は叙情性を持ったモチーフなので、日本ホラーのウェットな恐怖の表現にふさわしい。じっさい、タイトルに「水」を含んだ本作では、水を用いた演出がひんぱんに登場する。冒頭から降っている雨も、離婚という家庭の不和と、家族の心境の隠喩となっているだろう。

 ここで、人間関係の不和を重苦しく描くのもホラーの手法だ。淑美の情緒不安定な振る舞いもホラーならでは。もしこれが「肝っ玉母さん」では全く怖くない。そして、本作の場合も、離婚という状況設定が、有効に機能していた。まず、別居することで、怪奇現象の舞台へスムーズに移れる。

 『呪怨』の一軒家と異なり、こちらは集合住宅が舞台だ。集合住宅には隣人への不安が潜んでいて、雨漏りを通じてそれを描いている。また、屋上やエレベータという閉鎖空間を効果的に活用している。

 つぎに、夫と別れて、女子供しかいなくなるのも不安を煽る。そして、その心細さや寂しさに共感する形で、幽霊が訪れるのだ。別の視点で言うと、本作における幽霊というのは、不和や孤独といったものの象徴となっている。

 このことを分かりやすくするために、思考実験をしてみよう。もし、作中で幽霊の非存在が証明されていたら*1、どうだろうか。

 幽霊のように見えるのは幻覚だ、と観客は思うだろう。そして、離婚して環境が一変したことで、娘の孤独感や母親の不安感が、幽霊という形を取って現れている、といったように受け取るだろう。

 ところが、本編では実際に幽霊が現れているために、ホラー表現に興味が引きつけられて、心理表現としての幽霊が見えにくくなっているのだ。もちろん、見えにくいのまで含めて、意図的な演出だろう。要は、怖いだけで終わらせないための隠し味なのである。

 さらにここで、たんに幽霊が出るだけでなく、水を伴って出現するところが、本作の特徴だ。水の叙情性を用いて、親子の絆と、それが失われることへの不安を巧みに描いた。たとえば中盤、雨の降る屋上や水浸しの部屋を探す場面は、淑美の娘への思いの強さを表していて、感情移入させるシーンだ。

 終盤の風呂桶に濁った水が溜まるシーンは、ただ水が溜まって手が出てくるだけなのに怖い。これは、アイディアの勝利であり、ホラーの真骨頂だと感心した。CGを使えばいくらでも、もっと「凄い」映像を作れるだろうが、もっと怖くなるとは限らない。最後のエレベータから水があふれるシーンは、やはり『シャイニング』のオマージュだろう。

 本作は、水を中心にして、気配を感じる部分の演出が優れている。そのいっぽう、『リング』同様に映像を利用して、無機質の怖さも描いている。マンションの管理人室で映る、エレベータの監視カメラの映像を使って、恐怖を醸し出した。心霊映像はJホラーの十八番だ。

親子愛は家族の枠を超えられるか

 「リングのコンビが贈る魂を揺さぶるグランド・ホラー」「ずっとずっといっしょだよママ」*2というコピーが示すように、本作は親子愛を絡めた展開になっている。母親を演じた黒木瞳も子役も好演していて、母娘らしさが自然に感じられた。

 だが、結末での淑美の選択だけは、違和感を覚えた。なぜそうなるかといえば、まずもって家族という基準は根強い。それに、制作側にしても、結末に至るまで、もっぱら家庭内の娘への愛情を軸に、淑美の行動を描いている。

 それに、美津子側にしても、真実を受け入れていない。その選択で良いのだろうか、と思ってしまう。これがたとえば、美津子も淑美の亡くした娘、という設定なら受け入れられたと思う。

 もちろん、淑美の嘘は、美津子から郁子を守るための方便なのだろう。ただ、主人公が真実を提示して終わるほうが、観客としては納得しやすい。本編の締めくくり方は、予想を裏切る意外さはあるが、アナザー・エンディング*3のような感覚を受けた。

 もっとも、ただ違和感によって拒否するだけではなく、観客への「問いかけ」という捉え方もできよう。娘を守るために、娘との別れを受け入れた、淑美の選択をどう思うか、というような。

 さらに言えば、同じ監督の『リング2』でも、トラックにはねられた母親の前でうずくまる少年を、高野舞が抱き締めるシーンがあった。他人の子供へ親子愛を注ぐ、というモチーフは、無差別に呪いが連鎖するというモチーフの裏返しになっている。

 ただ、その場面はそれほど印象が強くなかった。ジャンルがホラーなので、後者のモチーフが圧倒的に説得力を持っていて、前者は埋もれてしまう。

 ホラージャンルにおいて、家族を超えた親子愛を成立させるのは難しい。それは、親子=家の外部を描くことと、恐怖=ジャンルの外部を描くことの、二重の困難を抱えているからである。

関連作品

仄暗い水の底から (角川ホラー文庫)

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仄暗い水の底から (Horror comics)

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*1:原作では、美津子の亡霊は、母親の妄想

*2:おそらく、これは郁子でなく美津子のセリフを想定していて、恐怖と感動が入り交じった効果を狙っているのだろう

*3:ノベルゲームで言えば、トゥルーエンド以外のエンディング。逆に言えば、もし本作がノベルゲームで、マルチ・エンディングのひとつとしてこのエンディングがあったならば、何も問題ない