なぜ『AIR』の観鈴は「がお」と言うのか

泣きゲのヒロインは「白痴」ではない

エロゲとか萌え系とかで顕著なアホの子を通り越した養護学級レベルの知恵遅れをヒロインとして萌え要素として配置するのかがどうも理解できない。ユーザーも含めて。

上記エントリは偏見丸出しのヘイトスピーチで、ネットで流通しているありふれたものだ。しかしネットでは、気軽な罵倒の方が、圧倒的に声が大きくなりがちだ。

そこで、あえて受け流さず、正面から批判しておく。別に鍵信者・麻枝信者というわけではないが、泣きゲのヒロインが「白痴」だとは全く思わない*1。作品の評価を別にしても、「白痴」と言ってしまうのは、単に作品が読み取れていない。

デフォルメされていれば簡単か

デフォルメされたキャラクターなら、描くのが簡単かといえば、それは違う。

逆に、身の回りの話をそのまま書いても、それなりにリアルな話ができる。少し資料を集めれば、それなりに専門的な話もできるだろう*2。さらに、そうした大人の知識をキャラクターに注ぎ込めば、キャラクターの精神年齢を上げるのも難しくない。

だが、身辺や資料の話をそのまま持ってくると、エンターテインメントとして成立しない場合がある。リアリティといったときに、不要だったり不快だったりするリアリティも多々あるからだ。

それより、オリジナルの世界観を築き上げるのは難しい。どこかから、そのまま引き写すことができないからだ。もちろん、何からかの形で、参照資料や先行作品は常にあるだろう。それでも、オリジナルになるまで組み立てていくのは難しい。

たとえばもし、「白痴」と言われているキャラが、男の気を引くために媚びているだけだったと、裏で舌を出していたら、本当は賢いことになるだろうか?

また、優越感というが、逆にたとえば、高い能力が最初から与えられている登場人物に、心から共感するだろうか? 天才、最強、異能力者など、たまたまそういう設定だから優秀だというのはどうか。

さらに、そのキャラクターが作者のお気に入りで、作中で賞賛されていたり、他のキャラに説教していたり、他のキャラを馬鹿にしていたりしたらどうか? エンターテインメント性は失われる。少なくとも、本気で感動したりしない*3だろう。

そうではなく、正当な賢さなり強さなりを備えているヒロインならばよい、というのかもしれない。しかし、ツンデレブーム以降は、まさにそういう流れになっているので、そもそも「エロゲヒロインに〜多い」というのが現在の状況に当てはまらない。

しかし、これは一般論だ。もう少し、作品に即した話題を展開しよう。

なぜ『AIR』の観鈴は「がお」と言うのか

うぐぅ とか がお とか言わせるだけで済むから楽チン

AIR』の神尾観鈴には「がお」という口癖がある。

それだけ見ると、ヒロインをキャラ立ちさせるために、意味もなく適当に取ってつけたように、思われるかもしれない。だが、そうではない。

観鈴がその口癖を好むのは、恐竜が好きだという背景*4があってのことだ。恐竜だから「がお」なのである。そして、恐竜が古代に絶滅したように、いわば失われた子供時代、あるいは夢の世界の象徴*5になっている。

「がお」の口癖は、観鈴が困ったときによく出る*6。その中には他愛のない失敗もあれば、現実的な事情によって、彼女の子供のような幻想が打ち砕かれる状況*7もある。

後者はたとえば、主人公(国崎往人)を家に泊めようとして、家族(晴子)に反対されるシーンが典型的*8だ。観鈴にとっては友達のような感覚なのだが、年頃の男女となれば当然問題になる。

そうして、純心な彼女が傷つけられそうになるとき、幻想の中の恐竜と無意識に同一化し、無情な現実に耐えるための呪文*9になる*10

「がお」とは、彼女だけが無意識に用法を理解している「観鈴語」なのである*11。逆の視点で見ると、大人のコミュニケーションでないから、彼女がその言葉を発すると、大人の立場を代表する晴子からたしなめられる。

やがて読者は、複雑な悲劇的事情を知り、彼女が「がお」と言うときの、実は複雑な心情を理解できる*12ようになるだろう。彼女の独特の言葉づかいも、他者理解の過程のひとつにある。

すると、単なる優越感も含まれていたかもしれない親愛の情は、ほのかな畏敬の念へと変わる。この作品のような奇跡的設定ではなくても、幼少期から思春期にかけて、何らかの事情で傷つく経験は、誰しもあるだろうからだ。

だから、この口癖ひとつ取っても、安直どころか、よく練られた設定であると思う。「がお」と書くだけなら2文字だが、大量のシナリオを、全体が整合的になるように構成するのは、大変な作業だろう。

もちろん、それはどこかセンチメンタル的な、大人のためのメルヘンのような演出ではある。現実の人間が同じことを言ったらおかしい、ということを読者は理解しているだろう。

だからといって、ヒロインが白痴に思えて、上から目線で手軽に優越感を味わえるから、『AIR』がファンに支持されているわけではないはずだ。むしろ、傷つきやすい他者に、失われやすい子供の夢の儚さに、共感できるから支持されているのだろう。この両者では、天と地ほどの開きがある。

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*1:もちろん、差別を助長する意図もない

*2:もちろん、それなりではなく、ノンフィクションかと思うほどリアルに描いたり、膨大な資料を集めて高度に専門的な話をするのは難しいが

*3:そのキャラや作者に、感情移入できる人なら感動するだろうが

*4:しかも実は、恐竜というのが、ヒヨコを意味していたりする。そのように鳥の連想が入っているため、夢の中では羽があって空を飛べる

*5:夢の中で空を飛ぶという設定もそれを裏付けるだろう。この作品において、空や鳥は重要なモチーフで、だから「鳥の詩」がOPテーマなのだ。

*6:対になるのが「にはは」「ぶいっ」で、同系統の言葉に「観鈴ちん、ぴんち」がある。この「ぴんち」は「がお」に比べて、自分を客観視しているときに、用いられる傾向があるようだ

*7:がおの口癖が出る経緯からしてそうだ

*8:だから、「がお」で涙ぐませる京アニの演出は、適切な解釈だと思う

*9:心理的防衛機制とでも言ってしまえばそれまでだが

*10:別の作品で似たシチュエーションを挙げると、『うみねこのなく頃に』の真理亜の口癖「うー」もそのような言葉だろう。だが、感動する度合いは「がお」が勝ると思う

*11:つまり、私的言語。物語上での言葉の位置づけは全く違うが、太宰治の『トカトントン』での「トカトントン」のような私的感覚が、エンターテインメント向きにライトになった形だと、私は捉えている

*12:だいぶカラーは違うが、『センチメンタルグラフティ』の永倉えみるにも、そういう展開がある