ネットの文章作法記事が、有言実行できていない

概要

へたくそな文章だと思わせないための、たったひとつの法則

へたくそな文章だと思わせないための法則は、

  • 繰り返しを避ける

これ一つだけだ。

文章作法系記事は、提出したTipsをその文章自体で実行していないと、説得力に欠けます。元エントリでは他の記事を批判していますが、まずその記事自体が有言実行かどうか、以下で見てみたいと思います。

考察

構成

へたくそな文章だと思わせないための、たったひとつの法則

題で「ひとつの法則」といっておきながら、本文では8項目掲げられている。どうも思いつくままに書かれているようで、構成がなされていない。

反復
  • 繰り返しを避ける

あらゆる文章について、この「繰り返しを避ける」という言説を当てはめて、文章をより良いものにすることが出来る。それは何も難しい事じゃないし、誰でも、今からすぐにできることだと思う。

  • 「繰り返しを避ける」という言葉が重複している。
    • 「この言説」でも良さそう。
  • 一文で「文章」が二回用いられている。
  • この段落で「出来る」「できる」と二回続き、表記が統一されていない。
  • 「こと」「事」「こと」と三回繰り返され、しかも表記が揺れている。
  • 「難しい事じゃない」と「誰でも、今からすぐにできる」は意味が近い。
  • 「あらゆる文章〜できる」と「誰でも〜できる」の内容が似ている。
  • 「言説」という言葉は、体系をなす程度に複雑な主張に用いるのでは。

このペースで続けると大長文になるので、以下は同じような指摘を繰り返さないことにしたい。

語尾
  • 語尾がいつも同じ

「〜だ。」をアレンジし、「〜であった」「〜なのだ」などといろいろ使い分けることで、簡単に同じ言葉の反復を抜け出すことができる。

それだけでは小手先の使い分けだ。根本的な問題は、いつも述語に名詞を使うか、動詞でも「する」ばかり用いるところにある。動詞を使うと語尾の種類も自然と増す。

といいつつ、私も実行できていない。論説文は「AはBだ」式の論理を展開していくことが多いので、一般的な動詞を使う機会はどうしても少なくなるのだ。また、敬体の場合、語尾の多様化はより難しくなる。

短文
  • 短い文の反復がやたら多い

小説の文体については、表現の内容に合わせるものだ。一概にこうしなければならない、ということもないだろう。たとえば、緊迫した作品では短文、穏やかな作品では長文の傾向で書く、というのは考えられる。

定型
  • 使い古された表現はやめておく

後の「無理に自分の言葉を探そうとしなくて良い」との整合性が気になる。

読点
  • 読点を適切に入れる

(そういえば、読点が多いという指摘があったが、全くその通りだと思う。どうも自分は読点が好きすぎる)

読点も重要だが、より上位には語順の問題がある。文の語順や分節が決まってから読点を打つので、語順や分節が適切であるのが前提になるのだ。

たとえば、「へたくそな人は、読点をどこに入れるかを全く意識しないから、結果として文章は読みづらく、陳腐に見えてしまう。」という部分は、「読点をどこに入れるか全く意識しない文章は読みづらいし陳腐に見えてしまう。」と語順を変えて、読点をなくすこともできる。

ただ、読点が少なければ少ないほどよいとは思わない。私も読点を多用しており、「しかし、」のように文頭の接続詞の後には、必ずといっていいほど読点を打つ。読点と接続詞を多用するのは、美しい日本語の使い方ではない。だがそれよりも、論理構造の明確化を優先しているのだ。つまり、「美」より「理」を取っている。

音読
  • 書いてみたら音読してみる

ってのもやっぱり大事だ。頭の中で良い。実際に読むスピードで、自分の書いた文章をもう一度読み直すこと。向田邦子は自分の小説だか台本だかを執筆しながら朗読して、それをテープに残していたらしい。そこまでする必要はないと思うけれど、そういう姿勢が大事なのは確かだ。音読してひっかかるような文章を書いているのはよろしくない。

この引用部自体が、音読して書いたとはとても思えない。「ってのもやっぱり大事だ。頭の中で良い。実際に〜」というところは、「音読してひっかかる」。「だか台本だか」も「Da」の音が連続して、しかも響きが綺麗でない。ちなみに、「頭の中で良い」なら、「音読」でなく「黙読」*1ではないだろうか。

「それをテープに残していたらしい。そこまでする必要はないと思うけれど、そういう姿勢が大事なのは確かだ。」という部分では、「それ」「そこまで」「そういう」と、指示語が三回連続している。音読で気になるだけでなく、意味も曖昧になる。「録音までする必要はないけれど、客観視する姿勢が大事なのは確かだ」くらいか。

独創性
  • 無理に自分の言葉を探そうとしなくて良い

「オリジナリティなんて言葉にだまされて変な表現を使ったら一気に興が冷めてしまう。」とある。しかし、その後の下品なたとえの方が、よほど興醒めではないだろうか?

努力
  • 文章は、いつでも苦しんで生まれるものだ

いつでも文章は「書き飛ばせる」ようなものではなくて、努力と苦悩の果てに成り立っている。

元エントリは書き飛ばして書いたように思えてしまう。ネットの匿名記事は書き飛ばされるものだが、文章作法の記事なのだから、もう少し隙を埋める必要があるように思えるのだ。

さらに、「こんな誰も使えないようなくだらないテクニック」とこき下ろした記事の指摘が、当てはまるように思えるのだ。たとえば、音読の部分は(指示語の問題だが)「曖昧な表現は避けること」、オリジナリティの話の部分では「文章のトーン」が変わる(下品な喩え)ことについてだ。

なお、個々の法則については、文章作法本で既出のものなので、特に異論はない。ここでは、自分が掲げた法則を実行しているかどうかを問題にした。ちなみに、関連記事では、文章修行自体の有効性に焦点を当てている。

*1:頭の中で音読しない黙読と区別するなら、「黙唱」だろうか