日本は人が貧しい

豊かな組織と貧しい個人

たしかに日本は豊かですが、それは「組織が豊かで、人は貧しい」のではないでしょうか。組織が勝ち、人は負ける。

最近は株価暴落などもありましたが、もう少し長いスパンで見ると、2000年代以降、「景気回復」という言葉を何度も耳にしたかと思います。いざなぎを超え、戦後最長の期間とも言われました。しかし、多くの人の実感とかけ離れています。なぜか?

景気は回復したのかもしれませんが、賃金が抑制されており消費につながりません。じっさい、民間の給与所得者の平均給与が九年連続で下降しています。これが「実感なき景気回復」の実態です。つまり、企業から個人へ所得が回らない。

純化すると、バブル崩壊以降リストラで経済を建て直す発想で来たため、経済が回復しても一部を除いて誰も得しない。人のために組織があるというより、組織のために人がおり、人の首を斬って組織を守ろう、という思想がごく普通に受け入れられるようになりました。

日本人は肩書き、すなわち集団への所属で人を判断します。個人が集まって社会を作るというより、世間が先にあって、その中の一人としてある。また、日本は場の空気が支配する。「根回し」があるように、共同体内で集合的に意思決定がなされます。

「自己責任」という場合、「自己決定」が可能であることが前提です。ところが、事実上何の権限もない現場に対して、押し付けられることが多いのです。金融機関に公的資金を投入しても、生活保護は水際作戦で阻止しようとします。組織は守るが、人は守らない。

消費で求めたものが労働にもたらされる

最近の「プロ論」はうさんくさい、フェイクだと思っていて、そもそもプロなんか必要ないのではないかと考えています。経営的・芸能的な分野で残るとしても、八割はいらなくなるのではないか。もっと言うと、「99%の部分で人間を交換可能なシステム」を、経済界は求めているのではないか。

労働の場面では、プロでありたいと思ってあれこれ語るのだけれど、消費の場面では、プロは別に求めていない、という建前と本音の落差に、欺瞞を感じます。だって、みんな、コンビニや、ファーストフードや、チェーン店や、100円ショップや、大規模ショッピングセンターに行きたいでしょう。なのに、みんな、自分だけはプロになれる・プロでいられると思っている*1

役所のスローガン的な「顔の見える個人商店」で「地域再生」とか、みんな建前では認めるだろうけれども、本音ではいらないはず。実名で書くより匿名で書きたくて、2ちゃんねるに人が集まるのと同じことです。消費の場面では、マニュアルに従うバイト店員の方を好むのであれば、市場の摂理は需要あっての供給ですから、労働の場面も自然とそうなります。

バブル崩壊以降は、流通などで大規模なシステムを作って、大部分を非正規雇用でまかなうところが勝っています。人を育てるコストを払わない部分が儲かる。給料は減って残業が増えるので、じっくり消費することができず、なるべく安いものを選び、将来の不安に備えて貯蓄しようとする。すると消費が減って給料も……と悪循環です。

格差の時代から貧困の時代へ

はてブを見ていますと、「マッチョ」と「ウィンプ」だとか、下らない茶番が演じられていますね*2。しかしもちろん、そんなことは本質と関係なく、全体が地盤沈下していく。個人的に「格差」という呼び方は、もはや「ぬるい」と思う。あるいは、格差というのは人同士の格差よりも、まず「組織と人の格差」が問題なのではないでしょうか。

だから、組織は豊かだけれども、人間のレベルで言えば、単に「貧困」の問題でしょう。「格差」というから、ポジティブシンキングすれば勝ち組に入れるのだ、みたいな話が出てきます。しかし、数字で見ますと前述のように平均給与が下がっています。誰がどう思おうが、そんなことはお構いなしに、これから多くの人間が単に貧乏になっていきます。

現状では、その流れを変えるのは非常に難しいように思えます。経済理論よりもまず皮膚感覚で、システムの一人勝ちという印象があります。つまり、非人間的なシステムを作ったところほど勝つ。ではどうしたらいいのか? 分かりません。出口がない状態なので、安易な処方箋は事態を改善しない。ただ少なくとも一つ言えるのは、茶番ではなく現実を見なければいけない。

*1:もちろん、非正規雇用とプロ・アマの問題は別なのですが、今言いたいのはそういう繊細な問題ではなくて、社会の大きな変化です

*2:あるいは、怨じられている?