プロとアマの違いは一つ
客は神
金。お金が稼げればプロ、稼げなければアマチュアです。
だから、プロかアマかは市場が決定します。「お客様は神様だ」と言いますが、客が神というのは、お金を払うからに他なりません。
すなわち、仕事の価値は自己ではなく、対価を払う他者が決めます。精神論的訓話は本質ではないし、技術論すら関係ないかもしれない。それらは、一見厳しいことを言っているようでいて、自分の価値を自分で決めることができそうな幻想を演出しています。真の不条理・残酷さを隠蔽している。
マンガやドラマには、読者のイメージに合った、プロっぽいプロが出てきます。しかし、どんなにプロっぽくなくても、金さえ稼げればプロなのです。逆に言えば、どんなに努力したり苦労したりしても、稼げなければプロではない。
主婦はプロ
冒頭で結論を出してしまいましたが、さすがにこれだけでは凡庸なので、この唯物論的な視点から、専業主婦という職業を見てみましょう。プロっぽくないから、そう思わない方もいるかもしれませんが、主婦はプロです。就職か結婚かという形態の違いは、本質的には関係なく、飯が喰えればプロです。
今は細かい数字が本題ではないので大雑把に、サラリーマンの生涯年収三億円、その半分が主婦の実質的な収入だとしましょう。すると、一億五千万。たとえば、「クリエイティブ」な業界で、主婦ぐらい稼げるプロが、どれくらいの割合でいるでしょうか……。
「35歳定年」の若い業界の場合、二十歳過ぎに就職した場合、たとえ年収一千万でも35歳で引退してしまうと、少なくともその職業においては、主婦の例に及びません。だから、その多くは長い目で見ると、主婦にかなわないのではないでしょうか。
この力がどこから生じるかというと、「男性が女性を養うべきだ」とか「一夫一婦制」といった社会的に構築された構造です。すなわち、一度結婚したらそう簡単に別れるべきではない、違反したらたとえば慰謝料や恥の意識でペナルティを加えるという、法律や道徳などの社会的な規範・規制があるため、自由競争から保護されているのです。
もし、離婚がすごく容易な状態になれば、主婦も非正規雇用や「35歳定年」の世界にだんだん近づいていくのではないでしょうか。そして、性規範の解放といった社会意識の変化は、良い悪いは別にして、すでにその大きな流れを作っているのかもしれない――。
労働と社会
前半と後半にひねりを加えた構成にしましたが、「男女平等」「自由市場」「非正規労働」といったテーマは大きすぎるので、ここでの主題ではありません。それはまた別の場所で扱えばいいでしょう。
ただ、こういった社会システム論的、あるいは構造主義的視点から労働を見ると、今はてブで流行しているマッチョ・ウィンプがどうこうといった議論とは、全く別のものが見えてきます。
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