RSSリーダの普及が進まない理由をユーザだけに求めるのはもうやめよう

RSSリーダは「フツー」のメディアか

購読フィード数1000以下の人間を「フツー」と呼ぶのはもうやめよう - アンカテ(Uncategorizable Blog)

「フィードによって何ができるか理解できない人」は「フツーの人」だ。でも、それを理解できた時に、それでもそこに何も好奇心を持たない人は「フツー」と呼べないと私は考える。

はてブRSSリーダの話が出ると、たいていユーザの意識が遅れていることにされる。そして、ギークは何千フィードも読んでいて、読むと世界が変わるみたいな話になっていく。だがちょっと待って欲しい。

ケータイが普及したらケータイの使い方を覚えようとするだろう、というようなことは分かるが、記事のタイトルには全く賛成できない。フィード数1000以下の人間が「フツー」じゃなかったら、それはむしろ、RSSリーダが「フツー」のメディアになっていない、ということのあらわれだろう。

「長電話」と言うように、「多フィード」といってもいいのではないか。そして、多フィードが当然の使い方とされてしまうのは、メディアとしてはむしろ未成熟だと思う。例えば、電話を掛ける時間が長い方が、テレビを見る時間が多い方が、より「フツー」なのだろうか。もちろん違う。

フィードの未読を読むのは雪かき

RSSの未読が溜まると面倒くさい、という声はよく聞く。RSSを知っているが使わない人というのは、「フツー」じゃないのではなくて、単に雪かき作業がイヤなのではないか。

RSSリーダは記事を均一に取得するため、何らかの方法で大量の未読を要領良く捌ける人でないと使いにくい。大量に読めるから素晴らしいとは限らない。むしろ、そういうボリュームインフレこそが、普及を妨げる要因になるのではないか。

それに逆の視点で見ると、大量に読まないと意味がないというのは、つまり玉石混淆であるということで、別にメディアとしての優位を意味しない。本でも何の媒体でも、人並み外れて多くの情報に触れたら、それは得る物があるだろう。

もちろん、最初のフィードの供給の段階で量を制限したら、つまらない。しかし、何らかの基準によって、フィルタ・ソートする方法が用意されている必要がある。

RSSリーダには編集が欠けている

それは工夫次第でどうにでもなりそうではある。しかし、ギークGreasemonkeyPlaggerなどでカスタマイズするのが面白いのだろうが、自作PCが主流にならないように、マジョリティに普及するときには、最初から一定の品質で供給されることが必要なのである。

はてなRSSなどもスターやブクマが表示されるから、一応読み流すことはできるようになっているが、アクセス的にはアンテナより使われていないし、圧倒的にブックマークの方が多い(まあRSSLDRを使うはてな民も多いだろう)。これは、情報が量だけではなく、取捨選択による質が問題になるからではないか。

大手ニュースサイトはRSSにパイを奪われていない。ニュースサイトのネットワーク、紹介連鎖を伝わる内に、情報は淘汰・圧縮される。つまり、選別されていない数千フィードよりも、S/N比が高い数十記事の方が有用な場合があるのだ。