ネットは炎上より積雪の重みで潰される

炎上と積雪

ネットのネガティブな面として、よく炎上が取り上げられ問題視されるが、直接関係者として遭遇するのは確率的に少ない。ここでは、おそらくもっと多くの人間が直面するある種の徒労感を、「積雪」という言葉で表現したい。「積雪」とは何なのか?

広告と積雪

例えば、炎上でブログが閉鎖する例は派手なので記憶に残るが、積雪の重みで更新が途絶える方が多いと思う。「ブログ的雪かき」*1に疲れて、その作業に更新が埋もれてしまうのだ。「雪」というのは、例えばスパムが挙げられる。

もちろん、スパム一つでは潰されない。雪がひとひら降ってきても、意欲の熱で溶けてしまう。しかし、それが何百、何千も降ってくると、寒さに凍えてしまう。「寒さ」というのは、「誰も見てない、スパムしか来ないよ。寒…」というような感覚だ。

ブログだけではなくメールとか色々なサービスを全部合わせると、毎日大量のスパムに晒されているし、スパムではない普通のメールなどがそもそも多い。これには、サービスが無料な代わりとして、メールマガジンを発行していたりするものも含まれる。

スパムでない広告については、業者が悪いわけではない。「ネットは無料」という既成概念に従って、ネットユーザたちが意識的・無意識的に選択してきたことだ。広告をブロックするツールなりはあるが、それがユーザ全体に普及したら、サービス自体が成り立つまい。

また、Web制作者側としては、広告の単価が一律なために、質を向上しようという意欲が生じず、量を増やす方向ばかりに動機付けられる、というインセンティブ構造はあるかもしれない。ページを10個に分けるとPVが10倍増えるだとか。下らないが仕様がない。

交流と積雪

2ちゃんねるなど、成員の流動性を高める匿名メディアには人が集まる。それは、「匿名の炎上」よりも、「顕名の積雪」の方が、よほど恐ろしいからではないだろうか。いわれのない誹謗中傷は相手が悪いのだから無視すればいい。

しかし、むしろこちらが悪くなってしまうような、礼儀に従った振る舞いの蓄積の方が、「これは○○しないと悪いよなあ…」とスルーできないので、精神的負担になる。ここで、儀礼性と議論性をトレードオフしようとするのが、いわゆるモヒカン族だろう。

そして、ネット上はあちこちのコミュニティ(メール・掲示板・ブログ・SNS・チャット・メッセ…)に多元的に所属できるので、参加コストが大きくなったときに、コミュニケーション自体を止めて、意識的・無意識的に降りてしまう、立ち去り型サボタージュの選択が取られる事態が多くなる。

コミュニティ間を移動するコストが、責任の重さに耐えるコストを下回ると、成員は流動的になる。近代的な主体・個人は、議論・対話によって変化・成長していくのが理想だが、ここでは、人が変化しなくても、場所の方を変えれば、新しい人を見つけることができる。これを、人間性の後退と見るかは、微妙なところである。

負荷と積雪

まとめると、炎上のように派手ではないが、ジワジワ増えてくる雑務の方が、人に徒労感を与え、コミュニティを去らせてしまうことになる。それを「積雪」と呼んだ。

オンラインではオフとは比較にならないほど大勢の人間と交流するが、余計な処理をなくしたり、負荷を分散させたりする必要がある。それは、言いたかったこと、あるいは、聞きたかったことが、雪の中に埋もれてしまうからだ。

関連記事(文末)では、何となくエラソーな書き方になってしまったが、要するに手間が掛かると去ってしまうユーザというのが大勢いる。以前アンケートを採ったが、サービスを「面倒そうだから使わない」という回答が結構あった。逆に、TwitterTumblrは楽だから流行したのだろう。

負荷を軽減して人を楽にするには、速くして便利にするやり方もあるだろうし、はてなスターは楽に褒められる、というように面白いやり方も両方あるだろう。いずれにしろ、無言で立ち去っていくユーザは実は一番多いのではないかと思う。その「声にならない声」を書きたかったのである。

*1:「文化的雪かき」のようなもの