匿名批判は卑怯か?

暴露事件の経緯

実名にこだわっておられるらしい小谷野敦さんが、以前予告していた通り、自分のブログで私の本名に関する情報を公開している模様。その情報を受け、一部ブログや2ちゃんねる等で既に私の本名が多数書き込まれています。「匿名批判は卑怯」という小谷野さんの「考え」を私に押し付けないでほしいと再三お願いし、エントリー公開後も削除するよう依頼のメールも送りましたが、聞き入れてはいただけなかったようです。

事件自体は、部外者が口出ししても解決しないので、「匿名批判は卑怯」かどうか、という一点に絞って考える。

匿名批判は卑怯か?

  1. 無名
  2. 筆名
  3. 実名

ここでは便宜上、上のように匿名を無名と筆名に分ける。2ちゃんねるの「名無しさん」のような、個体の区別がつかない状態が無(記)名、2ちゃんのコテハン*1はてなのIDのような、区別がつく状態が筆名だ。無名は反論に費やすコストが少ない。

例えば、Aという主張が論点a1,a2,a3...を、Bという主張が論点b1,b2,b3...を含むとしよう。b1がa1より、a2がb2より、説得力のある主張のとき、匿名の批判者がb1だけ言って、不利なb2を言う前にコメント欄から消えてしまう、というのはフェアではない。

そして、炎上状態のときは、大勢集まって好き勝手なことを言っては消えてしまうので、物量で全部に反論することができないが、批判者たちはそのことを持って自らが正しいかのように振る舞う。こういうケースでは「卑怯」だという印象も確かにある。

だが、そうした状況を防ぐために、このブログでは、はてなのIDを持つものしか書き込めない設定になっている。しかし、上の理由は筆名(ID)で十分なので、実名の開示を求めたことはまだない。「黒木ルール」も、戸籍上の本名を明かせという主張ではなかった。

実名はオフラインでの責任を負うので、オフラインで生じる権利を得ている場合の責任者は明かすことがある(Webサービス・ショップの責任者など)が、ネットで純粋に議論をしているだけなら、言論は言論で決着を付ければよいと考える。

実名なら卑怯でないか?

実名原理主義者は匿名が卑怯だと言うが、実名を暴露することによる不利益で、批判させないというのは卑怯ではないのだろうか。現実社会でも、匿名を守る場合がある。論文査読もそうだが、そもそも民主的な投票なら秘密投票だろう。

誰が誰に入れたか分かると日常生活で不利益を被るから、自分の考えに従って一票を投じられないのでは困る。そして、批判者は実名を明かして、日常生活で責任を取れ、というのは、同様の事態ではないか。

少し前の例を出して言えば、舛添要一氏の私人としての言動と、厚労相としての言動とは区別されるべきだろう。そのようにむしろ、プライベートとパブリックの区別を、公私混同しているように思われるのだ。

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*1:id・be・トリップ・キャップが付いたもの