「ひぐらしのなく頃に・解」の放送自粛についてまじめに考える
ひぐらし死守同盟
きょう深夜3:32〜放送予定の「ひぐらしのなく頃に解」は都合により「極旨★KING グルメいちばん星!」に変更させて頂きます。ご了承ください。
本日27:32〜放送を予定しておりました、東海テレビでの放送は、
諸般の事情により休止させて頂きます。
「嘘だッ!!」という感じですが、一話だけではなくまだ半分くらい残っている全話を放送自粛する流れになってしまう予感がします。いったん悪者を作り上げると、坊主が憎ければ袈裟も憎いで、何でもかんでも叩いていく、更に叩かれる側は事前に、過剰に空気を読んで自重してしまう、という繰り返される一連の流れは、悪しき慣習だと思います。
ちなみに、「ひぐらしは鉈」という意見を見かけますが、罪滅ぼし編では斧が出てきます。ただその部分の放映は既に終わっているので、やはり自粛する意味がよく分からない。また、「アイドルマスター XENOGLOSSIA」では、斧を使った同種のシーンがありますが、放送されており、基準が恣意的だといえます。
どうしてこうもアニメやゲームはスケープゴートになってしまうのか。しかし、災難が起こったら生け贄を捧げようというのは、何の解決にもならないと思います。もし残りの放送が全部潰れてしまったら、表現規制・自主規制に対する「ひぐらし死守同盟」*1のような団結運動がないと、また歴史はループするでしょう。
前回の記事の補足
まあ、誰が書いても同じような批判になるところではありますけどね…。
ただ単に同じなだけじゃなく、もうちょっとオリジナリティがあると良かったな…。
事件報道のリスクの指摘は近年では宮台真司が、規制表現の反対運動をしている中で行っていました。もちろん、表現の自由と報道の自由の対比は、憲法がオリジナルです。最近では報道被害というのが言われていて、アニメの放送よりもマスコミの過剰な報道の方が、被害者の遺族など関係者に実害が生じやすいでしょう。
ただ、今回の件は模倣犯罪に対する(先取りした)放送自粛ではなくて、既に起こってしまった事件に対して、似たような表現を放送するのは不謹慎という意味での自粛だ、という見方があります*2。これには、ワイドショーの興味本位は不謹慎ではないのか*3、というのもありますし、原作は何年も前からあるし、どう考えても無関係ではないか、という思いがあります。