格差社会は個人の努力では解消しない

格差社会の原因は努力が足りないせいか

novtan別館 - 格差社会の原因なんて、みんなとっくに気付いているよね

格差社会の元凶は、我々の世代が、個性とか、趣味とか言って騙されて、頑張るのはアホだと思い込まされたことにあります。人間頑張らないと暮らしていけないのですよ、本来。

格差社会の原因は個人の努力*1不足、ということはないし、個人の努力によって格差が解消していくこともない。ここで、それでは努力は必要ないのか、と思うかもしれない。しかし注意すべきは、格差社会の内部で個人が階層を上がるための努力を否定しているのではない、ということである。どう違うかというと、全体と個人で視点が異なっている。以下、もっと分かりやすく説明するが、ナンセンスさを理解できたら、後半の関連記事に応用してみて欲しい。

例えば、学歴社会の原因は勉強不足だとか、勉強すれば偏差値序列がなくなる、ということがありえない、というのは直感的に理解できるだろう。良い点を取れば良い大学へ行けるから勉強せよ、というのは普通の主張だ。しかし、勉強することで学歴格差が解消したりはしない。受験生全員の点数が上がっても、定員があるわけだから、相対的な順位は変わらない。システム上、全員が東大には入れない。これは子供でも分かることだろう。

格差社会を肯定する意見、否定する意見、社会全体がどうこうとは別に、個人の生き方として努力せよという意見、様々な意見がありうるが、個人が努力すれば格差が解消する、というのだけはありえない。おそらく発言者が思っているのとは逆に、全く現実が見えていないし、陳腐な幻想である。個人の努力によって、格差ゲーム内での個人の位置は変わりうるが、そのことで格差ゲーム自体はなくならない。水が流れても川は消えない。

最後に、さらに原理的なことを述べて幕を閉じよう。資本主義的な自由競争だけでは格差が縮小しないので、再分配機能としての政府が要請される。逆にもし、市場だけで全て問題が解決するなら、すなわち頑張れば格差が解消するなら、政府は必要なくなるだろう。だから、格差社会は個人の努力では解消しない。むしろ各自が頑張れば頑張るほど格差は拡大する。

*1:この文章での「努力」は、主に個人が階層を上がるための努力、という意味で用いている