愛に見返りを求める非モテに明日はない

恋愛を諦めない

要するにsirouto2氏の提案を実行するならば、最終的には恋愛競争自体を見ないものが勝者ということになる。すでに恋愛という「内面関係性」を非モテは見てしまっている故にすでに恋愛競争に負けているわけですね。

http://fragments.g.hatena.ne.jp/nisemono_san/20070719/1184820418

「女は存在しない」、つまり女性像は男性の幻想に過ぎず、しかも「性的関係は存在しない」、つまり恋愛関係も幻想の関係である、と言えます。しかし、恋愛は幻想でも、幻想への欲望は、欲望する人間は、リアルに存在します。だから、戦わなければ負けないと、悟って開き直ることは勧められません。「己の欲望を諦めない」ことが重要です。

あともうひとつの疑問点は恋愛というのは関係性の問題であって、この人の言い分をすっげー要約すると「まず好きになることありき」なんだよね。で、相手側が好きになる契機というのは一切考慮されていない。
(中略)
しかし、非モテの前提はそもそも「相手が自分に好きになってくれない」という定義であるが故に矛盾。したがってダメ。

もちろん、非モテは相手が自分を好きになってくれないでしょう。また、失敗なしの成長はないので、断られるのは当然の過程です。それでも、好きになることありきです。相手に好かれなくても、二人の空間は成立します。ラブラブ状態ではなく、コミュニケーションが成立する程度で構わないのですから。

見返りを求めない

冷たいまなざしで断られることは、不可避であり、かつ、きわめて重要です。実は、恋人を作るよりも断られる方が重要かもしれません。なぜかと思うかもしれませんが、ここで冒頭の話に戻ります。「非モテは見てしまっている故にすでに恋愛競争に負けている」というのは、想像的な意味での敗北ですが、現実的に敗北することに意味があります。その地点でようやく恋愛競争から距離が取れます。

行動が失敗に終われば、余計コンプレックスが募るではないか、と思うかもしれません。しかし、可能性の精神的圧力(ああすればこうすれば)があると、対象から距離を維持するのが難しいのですが、現実に行動すれば圧力が下がります。更に言うと、相手から得ようとすることよりも、自分から失うことの方が、重要だと考えます。究極的には、非モテを脱しなくても、精神的不良債権を処理すればそれでよいでしょう。