「空気系」作品と環境音楽

樹海エンターテイナー:『空気系』とでも呼ぶべき作品群について。 - livedoor Blog(ブログ)
樹海エンターテイナー:『空気系』作品の特徴は何だろうか - livedoor Blog(ブログ)
博物士 - 〈空気系〉試論


日常を描き、物語性(ドラマ性)の薄いタイプの作品はよく見かける。それは最近始まったことではなく、『あずまんが大王』より先に不条理マンガブームがあったし、それより先につげ義春がいたし、もっと先に自然主義文学があった*1。しかしここでの考察は系譜を辿っていく方法は取らない。縦の歴史ではなく横のジャンルで比較してみよう。


マンガにおける「空気系」作品の出現は、無調性音楽の出現に似ているのではないだろうか。「起→承→転→結」と「C→F→G→C」は、異なる分野の文法ではあるが、抽象的なレベルでは同じ構造と見なせる。構造は起承転結だけではなく、もっと多岐に渡るだろう。例えばプロップの機能分類ようなものでもいい。音楽の方も、ノンダイアトニックコードやテンションなど色々ある。


だが、モダンジャズでコードからモードへという道があったように、その構造は実は絶対的なものではなかった。絵画で言えば、印象派の画家がわざと黄金比の構図を拒否したりしたこと*2も関係あるだろう。そして、同人誌の二次創作はリミックスそのものだ。そこではドラムンベースが流行るように、ツンデレだとか323絵だとか色々なものが流行する。


空気系の作品が背景や雰囲気にこだわるのは、テクノが音源や音響効果にこだわるのと同じことだろう。ループしたりミニマルだったりするから単調だとは限らない。もっと一般に、ボーカルのある曲よりインストゥルメンタルの方が、奥深い表現になっていることもある。そして、空気系の作品が癒されるというのは、環境音楽のそれに似ているかもしれない。

*1:よく『無能の人』は私小説のようだと言われる

*2:ここでは触れないが、有名なキュビスムの写実空間の拒否まで同じ流れにあると考える