VNI(2.0)について考える

はてな系が出涸らしになってきたので、次のネタを考えているんですが、RSSはキャラだという話を前にしていたので、VNIをやろうかと思っています。とはいえ明日から「○○1X歳」とタイトルを変えて「○○でっすー☆よろピコ!」とか文体も変えるつもりはありません。そのかわり、ゴーストとか擬人化とかネットでのキャラクターもの全体から考え、何か新しいフォーマットを生み出そうと思っています。そのためにどうすれば新しくなるのか考えます。


まずちゆフォーマットをすべて捨てたところから始めます。「○○1X歳」の○○にどんな奇抜な対象を持ってきても、新しいものを感じないでしょう。2万1X歳とか年齢も同様です。またブログの管理人がキャラの人格を全く演じないようにします。そのキャラと脳内対談もしません。しかしといって、ただの看板娘とかマスコットキャラクターのような存在でもなく、むしろインターフェイスとしてのキャラという位置づけで見ています。すなわち、VNI2.0=RSSという風に見立てています。どういうことか。


RSSで全文配信するような流れがありますし、RSSだけを読む人も出てきますし、それを加工する技術も色々あります。このところのはてな関係で作ったものもそうです。それで、キャラもそういう出力装置のように捉えています。あるいは暗号というか隠語の発展したもののような感じでしょうか。例えばいかにもコギャルといったような少女が、田舎から掛かってきた電話に出て方言で喋って、違和感を感じるというシーンがあります。そういう感じです。


もう少し違いを見ていきましょう。ネットでサイトの管理人とキャラの脳内仮想対談というのはよくある形式ですが、たいていは全然(バフチン的な意味での)対話になっていません。例えばキャラをダシにして自分の考えを正当化するというのは、全然ダイアローグ(対話)的ではなくてモノローグ(独白)的です。一人か二人かという人数の問題ではありません。予定調和でことが進むなら百人いてもモノローグ的です。いかに奇を衒った文体にしても同じです。それはただの装飾です。


そうではなくて、言語が思考を規定するというような、転倒が生じるところまでもっていきたいのです。インターフェイスとしてのキャラというのは、「マンガ○○学」みたいに難しいことを簡単に言うみたいな、そういうことではなくて、常に他者との境界にある、ヴィリリオ的な「界面」としてのインターフェイスです。


どこが新しいのかイマイチ分からないと思うので、アイディアを一つだけ出します。VNIではなくて、RNIというのを考えています。Rはリアルです。でも実在の人間を出すわけではないです。VNIというのは、架空の人格を作って、この現実の出来事をニュースにしたり解説するわけですよね。それを反転して、VNIVNIにとっての現実を生きていて、読者の方が架空の人格として参加して読むことはできないか。


…こうして色々言っていますが、なんだか抽象的でイメージできないですね。というわけで後で実際に作っていきます。