Fate・ひぐらしに見る新時代の(アンチ)ヒーロー像

注:少々ネタバレ有

ここまでのあらすじ

Fateとひぐらしの意外な共通点 前回の記事


TYPEMOON『Fate/stay night』と07th Expansionひぐらしのなく頃に』の共通点を前回考察しました。それは、コミュニケーションの失敗が大きく影響する世界観になっていることです。主人公が空気読めないばかりに殺されそうになるばかりではなく、例えばFateにおいてはマスターの三つの令呪、ひぐらしにおいては「嘘だっ!!」というような具体的な形で、その失敗に対するリスクが現されています。


コミュニケーションに対する希望と不安は、現代ラノベやエロゲで盛んな三つの形式を取ります。ISRで分類すると、「ツンデレ」「セカイ系」「学園異能」の三つになります。ツンツンがデレデレになる、自意識がセカイになる、他者が能力を持った異者になる、の三パターンです。総合すれば、自意識=セカイと他者=異能力者に引き裂かれ、その間を二面性を持つツンデレヒロインが媒介する、という形式です。Fateひぐらしに限らず、最近よく見かけます。

ISR イメージ シンボル リアル
三形式 ツンデレ セカイ系 学園異能


以上は現代でのコミュニケーションの断絶を反映しています。オタク系文化の作品群はそれを受け、新しい「成長」物語の概念を形成しています。つまり「正義」などの大きな物語に目覚めるのではなく、むしろ個々人の小さな物語を理解することが成長だという風に、意味が反転しています。Fateひぐらしは、いわば失敗した成長物語であり、両者に共通するのは成長=コミュニケーションという図式です。そして今回はヒーローを考察します。

葛藤型ヒーロー

衛宮士郎Fate*1は葛藤型ヒーロー*2に分類されるでしょう。これと対照的なのは、迷いのない熱血型ヒーローです。士郎はシンジ@エヴァほどは逡巡していませんし、積極的・行動的で熱血に近い気もしますが、その躊躇・留保・不作為が物語に大きく影響する点で、やはり葛藤型ヒーローに分類したくなります。


もう少し士郎の位置を検証しましょう。平和主義的な主人公には例えば剣心@るろうにがいます。ヴァッシュ@トライガンでもいいです。剣心は不殺の誓いをしていますが、士郎よりその必然性が高いように思われます。内容と形式の関係から見ると、まず掲載媒体が少年漫画誌とエロゲの違いがあります。例えいい年のサラリーマンが読んでいても、少年的価値観が体現されていることは納得して読んでいるでしょう。対してエロゲは成人がプレイするものです。


それと剣心やヴァッシュの場合は、「力」は彼自身の力であって、自分の力をどうしようが勝手だという気もしてきます。大神@サクラ大戦はヒロインに助けられていますが、彼自身も戦えますし、軍人なので戦いをためらいません。しかし、士郎は魔術師としては「へっぽこ」であり、彼の強さはセイバーの強さです。まあカード運の強さ(というか主人公を引き当てた運の強さ?)も実力の内だと思います。Fateは運命ですから。

足手まといなヒーロー!

以上のことを踏まえて、更に物語内ではどう扱われているか見てみましょう。放送が進んでいるアニメ版ですが、士郎の行動を振り返って見ると、かなり危なっかしい印象です。何度も殺されそうになってるのに、単独行動しまくりです。しょっぱなから(何度も)死ぬ主人公は結構珍しいです。*3人によってはハラハラを越えてイライラするかもしれません。しかし、こういう設定は失敗ではなくて、見方の問題だと考えます。なぜか。


よく少年マンガでヒロインが主人公を助けようとして敵につかまり、かえって足手まといになるという展開があるでしょう。「私のことは構わないで」とか言って。特に女性はこういう男に媚びるキャラを嫌うようです。士郎へのイライラはこの構造に由来します。一見熱血っぽい設定なので自力での活躍を期待してしまうと裏切られます。むしろセイバーの活躍を引き立たせる設定なのです。つまり、士郎は、おてんばなお姫様だと見ればよいのです。そして助けに来たセイバーは凛々しい王子様です。*4


前原圭一ひぐらしの話題がやっとここで出てきます。圭一も基本的に葛藤型ヒーローです。士郎と違って特に信念はありません。*5しかし、やはり足手まといなヒーローになります。ここでも圭一は、殺人鬼に気付かないでシャワーを浴びている女と見ればよいのです。*6この足手まとい感は、同じような事件を繰り返してプレイヤーには知識が溜まるのに、主人公の方はリセットされるシステム的問題に由来します。*7

ライバルはどこに消えた?

以前述べたように近年ライバルの影が薄くなり、美少女ゲームなどはその典型ですが、Fateひぐらしはどうでしょうか。Fateの場合、自分自身(分身)と戦いますし、聖杯戦争で戦う相手は皆ライバルです。むしろライバルが拡散している感じです。ひぐらしの場合、(擬似)ミステリ形式ということもあって、ライバルはプレイヤーだと見ることもできます。鬼隠し編の圭一の手紙は、プレイヤーに向けたメッセージにもなっています。


そして一方ライバルはツンデレヒロインに吸収合併されてもいます。Fateひぐらしも、やたらヒロインと(色々な意味で)バトルする作品だと言えるでしょう。今まで述べたことは、ヒーローとヒロインの位置が入れ替わっているという従来の指摘と似ています。ですが、主人公の位置は変わらないので(ヒロイン化したヒーローに据え置かれたままなので)、その不満が今回述べたような形で現れます。*8次回はヒロインについて考えます。

*1:実験的に人物@作品で表記してみます

*2:このタイプの主人公で、古典的な代表作品を挙げれば『ハムレット

*3:浦飯幽助幽遊白書だって最初はコメディ調(探偵もの)でした

*4:もちろん原作ゲームではルートによって全然違います。

*5:強いて言えばKOOLであろうとすることでしょうか

*6:例えば電話してるとき気付かないとか。しかしもっと重要なのは次の章でレナの本性に(システム的な必然性から)気付かない点。この二重写しメタフィクションが上手い

*7:繰り返しもののギャルゲエロゲに見られる特徴

*8:まあセイバーは○○○○王だし、英雄としての格が違いすぎる。でも人気投票でアーチャーに負ける士郎…