映画『山形スクリーム』 ――パロディ山盛りのご当地B級ホラーコメディ

概要

山形スクリーム(2枚組) [DVD]

山形スクリーム(2枚組) [DVD]

情報

「山形スクリーム」オフィシャルサイト

紹介

俳優、映画監督として異彩を放つ竹中直人成海璃子主演で贈る笑撃のホラーコメディ。女子高生の岡垣内美香代は、歴史研究会の合宿で山形県・御釈ヶ部村を訪れる。ところが、観光キャンペーンのイベントで掘り起こされた祠から平家の落ち武者が甦り…。

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

 女子高生・岡垣内美香代(成海璃子)は、歴史研究会のメンバーたちとともに、山形県御釈ヶ部村まで、研修合宿にやって来た。

 その御釈ヶ部村では、村長が、村おこしのためにテーマパークを建設しようとしていた。村のほこらを守ってきた床屋・与藻須賀三太郎(AKIRA)は工事を阻止しようとする。が、結局ほこらは倒されてしまう。

 その夜、800年前の「壇の浦の戦い」で源氏と戦った平家の侍頭・葛貫忠経(沢村一樹)が甦る。山崎田内左衛門(竹中直人)ら、彼の家来たちも忠経のもとに集まった。

 そして、この村で落ち武者狩りにあった忠経たちは、生前の恨みを晴らすため、村人たちを殺害する。殺された村人たちも、ゾンビ化して、生き残った村人を襲う。御釈ヶ部村は地獄絵図のような光景になっていた。

 だが、そんな中、美香代を見た忠経は驚く。彼と夫婦になる約束をした建礼門院の官女・光笛(成海璃子)に生き写しだったからだ。美香代は、妻にしようとする忠経にさらわれてしまう。

 はたして、美香代たちは、生きてこの村から出られるのか……。

解説

パロディ山盛りのご当地B級ホラーコメディ

 山形を舞台にしたB級ホラーコメディ。タイトルは『スクリーム』のパロディだが、もちろん、洋画『スクリーム』とは一切関係ない。

 監督は竹中直人。彼の「笑いながら怒る」芸のような、奇妙なハイテンションで終始進行する。このユルくてクドいノリが合うかどうか、好みが分かれるだろう。が、暗くシリアスなホラー映画ばかり見ていると息が詰まる。肩の力を抜いて気楽に見られる、こういう作品もたまにはいいだろう。

 配役を見ると、まず、監督の竹中直人が自ら出演している。他の映画だと彼の演技が浮き上がってしまうこともあるが、この映画では暑苦しい演技で合っている。落ち武者はハマリ役。彼ほど落ち武者が似合う役者もいないだろう。その時代錯誤感が、本作の世界観を体現しているのだ。

 女子高生たちを演じる、成海璃子、紗綾、波瑠、桐谷美玲は、コメディの中にあってもチャーミングだ。また、チャッピー役でカメオ出演している篠原ともえに注目したい。なんと、この映画ではあのテンションがちょうど良く見える。

 ナイスキャストだが、それだけに、彼女の出番が少ないのが惜しかった。というのも、女子高生たちは、カワイイのはカワイイし悪くないのだが、やはり普通のアイドルだ。ハイテンションコンビの竹中直人篠原ともえが掛け合い、際限なく悪ノリして弾けるところが見られれば、まさに夢の競演だった。個人的には、これが最も見たかった。

 演出面についてJホラーとの関連で言うと、あえて怪物の肉体感を強調して、骨抜きにするという手法を取っている。具体的には、御釈ヶ部ゾンビの眉毛を太くしたり、「ギョイ(御意)」と言わせたり。だから、この逆をやると怖くなる。たとえば『リング』ラストで、無言で見下ろす貞子のまつげのない眼をクローズアップしたように。

 ストーリー面では、もっとグダグダになるかと思ったら、意外と話の筋が分かりやすい。平家の怨霊に関するバックストーリーを導入でさらっと説明してしまい、主役の美香代と忠経の部分にギャグを混ぜなかったのは正解だろう。

 ただ、三太郎の祖母の子守歌があのような力を持つこと*1の理由が全く分からない。おそらく、『マーズ・アタック』のパロディなのだろうが、作品内での理由付けは欲しい。

 ラストはにぎやかで楽しい。変に深刻にならず、あのようにカラッと後味良く終わるのが正解だろう。B級コメディなのだから、文化祭や学園祭のように、ユルい一体感や連帯感が重要なのだ。

 全体を通して見ると、マイコ演じる女教師が「ちんすこう」と叫ぶ場面をはじめ、バカバカしくて笑えるシーンがある。カメオ出演している役者や、他の映画のパロディなど、ネタを探して見ると飽きないだろう。

 本作は、怖がるというより、面白がって見るための作品だ。怖さのみを期待すれば、期待はずれになる。が、面白がる見方ができるなら、楽しめるだろう。

関連作品

「山形スクリーム」オフィシャルガイドブック

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山形スクリーム (小学館文庫)

山形スクリーム (小学館文庫)

山形スクリーム 1 (サンデーGXコミックス)

山形スクリーム 1 (サンデーGXコミックス)

*1:光笛のミイラがあのような場所に隠されてあったこともよく分からないが、こちらはなんとなく想像できる

映画『テケテケ』 ――都市伝説は疾風とともに訪れる

概要

テケテケ 1&2 デラックス版 [DVD]

テケテケ 1&2 デラックス版 [DVD]

情報

映画『テケテケ』&『テケテケ2』公式サイト

紹介

口裂け女”、“こっくりさん”、“トイレの花子さん”に並ぶ知名度ながら、いまだかつて映画化されていない最後の都市伝説“テケテケ”が遂に実写映画化!
映像化不可能とされてきた異形の悪魔を、この世に送り出してしまう!!
AKB48の中心メンバー大島優子と、トップセールスを誇るグラビアアイドル山崎真実が、“テケテケ”出生の謎に迫る!

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

大橋可奈(大島優子)のクラスメイトである関口綾花(西田麻衣)が、下半身のない死体で発見された―。

この事件を機に、学校では“テケテケ”の話しで持ちきりである。この噂は、可奈の耳にも入ってきた。
“テケテケ”を見た者は、72時間以内に必ず死ぬ。可奈は、都市伝説について調べるため図書館へおもむくが、そこで偶然、可奈の従兄弟であり、女子大生の平山理絵(山崎真実)と出くわす。理絵は、大学の心理学科に通い、都市伝説に関する卒業論文をまとめていた。
理絵の話によれば、“テケテケ”のルーツは、兵庫県加古川で、戦後間もなく起こった女性の鉄道投身自殺にあるという。
2人は早速、加古川へ向うことにする。加古川で2人は、地元の大学を訪れ、理絵の教授から紹介された行方教授(螢雪次朗)と助手の武田慎(阿部進之介)から鉄道投身自殺した“カシマレイコ”という女性について話を聞く。許された時間は72時間。そう、可奈は“テケテケ”を見てしまっていた・・・。

解説

都市伝説は疾風とともに訪れる

 「テケテケ」は「映画化されていない最後の都市伝説」だったという。CGが発達した今聞くと、「映像化不可能とされてきた」というのは、大げさに聞こえる。が、下半身がないという設定上、「トイレの花子さん」のような他のキャラクターより困難ではあるだろう。

 元ネタの知名度の高さは、ユーザが見る動機になる。が、見る前にすでにネタがバレているわけだから、そのぶん期待はずれになりやすい。だから、テケテケをどのように登場させるのかは難しいところだ。

 そこで、本作の導入部では、低いカメラアングルで、疾走するカットを見せていた。これは素晴らしい演出で、見せ方に成功していると思う。なぜなら、視点が低いことでテケテケの主観視点だと、何も説明せずに観客に伝わるからだ。

 たとえば、これが小説なら説明抜きは無理だ。また、これが普通の二本足の妖怪では、視点の低さと速さに説得力がない。まさに、映像ならでは、テケテケならではで、正解の演出だろう。そして、テケテケ本体を見せず謎を温存したまま、殺人者が迫る緊張感を表現している。

 テケテケは一言も喋らず、非人間感が強い。黙ったまま、被害者を上下真っ二つに切断して、殺してしまう。そのことによって、ホラー邦画のウェットな恐怖というよりも、ホラー洋画やホラーゲームのクリーチャーのようなドライな恐怖に近くなっている。

 テケテケが出現する前に歩行音がするのは、「テケテケ」というのが擬音・擬態語であるため、当然の演出だろう。しかしさらに、テケテケ出現前には一陣の風が吹くというのも、「来るぞ来るぞ」という期待を高める適切な演出だ。

 テケテケは比較的新しい都市伝説だが、「怨念を抱いて死んだ女性の幽霊」という根本的な部分では、やはり日本の伝統的な幽霊像にのっとっている。テケテケ誕生の経緯からすると、女性ばかり襲うのも謎だが、女性が真っ二つに切断されるのは、ショッキングで絵になる。

 『リング』の七日の呪いのように、テケテケの呪いを解く期限を三日と定め、サスペンスを明示的に構成した。このことは緊張感をもたらしていて良い。また、これも『リング』がそうであるように、供養によっては解決しないのは、かつての怪談と異なるJホラーのパターンである。

 ただ、少し気になるところがあった。棚ぼた式に得られた情報*1を、可奈(大島優子)のケアレスミス*2で間違えてしまう。さらに、結果的には自分たちの誤りなのに、理絵は助手に当たり散らす。そこは、可奈が真摯に対応したため助手が情報を教えてくれたとか、当時と地名や地形が変わったとか、正攻法で臨んでも良かったと思う。

 たしかに、ホラーでは、主人公への感情移入やドラマ的感動が、必ずしも要求されない。しかし、イライラする展開とハラハラする展開は微妙に異なるのだ。どちらも先が気になる状態だが、必然性が低いと前者になる。主人公たちにはなるべく、最善の行動を取らせたい。そうしたほうが、エンディングの絶望感もより深刻になるだろう。

 演技面を見ると、ホラーだから怖がるのみ、という点を差し引いても、AKB48大島優子の演技は自然。全体的に手堅く作られた作品だ。妖怪をモチーフにしたホラーは、なにかとユルくなりがちだが、本作は最後までスピード感を保って駆け抜けた。

関連作品

テケテケ (1WeekDVD)

テケテケ (1WeekDVD)

テケテケ2 (1WeekDVD)

テケテケ2 (1WeekDVD)

*1:映画中、1948年(昭和23年)12月11日付けの新聞に、事件が掲載されている。それによると、10日夜、加古川市三笠町一丁目で、鹿島礼子(24)が、上半身と下半身が切断された状態で発見された。警察は状況から、鹿島礼子が投身自殺した際、電車にひかれたものとみている。そして、彼女の慰霊碑が倒れたことがテケテケ出現の原因だと、助手は推測する

*2:そういうミスをした前例があるという、「アウストラロピテクス」の伏線は入っているものの

映画『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』 ――海外進出したJホラー、地獄絵図を描く

概要

インプリント~ぼっけえ、きょうてえ~ [DVD]

インプリント~ぼっけえ、きょうてえ~ [DVD]

情報

『インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜』(劇場版)(情報サイト)

紹介

13人のホラー映画の巨匠が“最恐の称号”を賭けて競作した「マスターズ・オブ・ホラー」シリーズの既発BOXの単品化第1弾。小桃という女を探し浮島の遊郭を訪れたアメリカ人記者が恐怖の夜を体験する、三池崇史監督作。

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

 明治時代の日本。アメリカ人記者・クリス(ビリー・ドラゴ)は、女郎・小桃(美知枝)の行方を探し求め、各地を放浪していた。

 ある日、川中の浮島にある遊郭を訪れる。彼はなりゆきで、客引きをせず部屋の奥で座っていた女郎(工藤夕貴)と一夜を過ごすことに。

 その女は、顔の右側が上に引きつっていた。彼女は「ウチの顔、ぼっけえ、きょうてえ(岡山地方の方言で、とても怖いという意味)じゃろ……」と言った。

 彼女は、自らの悲惨な身の上と、小桃の行方について話し始めたのだった……。

解説

海外進出したJホラー、地獄絵図を描く

 もともと、アメリカで放送するために制作された映画なので、全編に渡ってセリフが英語(日本公開分は、日本語字幕付き)となっている。ちなみに、原作者の岩井志麻子が、小桃を拷問する女郎の役でカメオ出演している。これがハマリ役で、並の役者以上に雰囲気を出していた。

 本作はいわく付きの作品で、まずアメリカで放送中止になっている。日本でも、映倫で審査適応区分外の扱いとなり、ほとんど一般上映できなかった。放映された場合でも、R-15〜R-18の指定が付いている。以上のことからうかがえるように、グロテスクな表現やタブーに触れる表現*1が含まれているので、注意しておく。

 作中に出てくる地獄絵図が象徴するように、愛も正義も夢も希望もない、非常に悲惨な話になっている。辛口のホラーだ。また、日本が舞台だが、エキセントリックに撮られていて、ハリウッド版日本のような印象がある。これは、同じ時代物のホラーでは、江戸情緒と恋愛を描いた『怪談』(2007年)と対照的だ。

 爪の間に針を刺す拷問シーン、胎堕された赤子を捨てるシーン、異形の「姉」が登場するシーン、これらは非常に強烈な印象を残す。そのせいで他の印象が薄くなっているが、この過剰な残虐さを差し引けば、デヴィッド・リンチの映画のような不思議な触感が残る。

 工藤夕貴演じる女郎の不幸な生い立ちに、同情できる部分はあると思う。が、あの残虐な拷問を見てしまうと、彼女の取った行動はやはり肯定しがたい。やりきれない感じの結末を迎えるが、逆に言えば因果応報的で、この手の物語では予定調和でもある。

 物語を語る手法にも目を向けよう。信頼できない語り手によって、同じ事柄に関する叙述が上書きされていく、という特徴を本作は持つ。これは一種のループ構造と見ることもできよう。

 そうした反復構造をとる意味はなにか。本作はいくつかの衝撃的な事実に重点があるが、その事実を際立たせる効果がある。女郎がクリスに最初に提示した話でも、外部から見て辻褄は合っているだろう。

 しかし、そこからさらに上書きすることで、事件の不可解さが浮き彫りになってくる。あまりにも異様な女郎の犯行動機、その存在感を強調しているのだ。

 本作は、ホラーの体裁を取りながら、人間の暗部を描いた問題作。地獄絵図をのぞいたような感覚が残った。

関連作品

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

監督中毒

監督中毒

*1:むしろ、放送禁止の要因としては、こちらのほうが大きいのかもしれない

映画『恐怖』 ――ポストJホラーの開拓地を目指す実験作

概要

恐怖 [DVD]

恐怖 [DVD]

情報
紹介

お母さん、私の脳味噌をどうするの?

『感染』、『予言』、『輪廻』、『叫』、『怪談』に続く、Jホラーシアター最終章!
禁断の領域に触れた美しき姉妹の運命を描く、前代見門の<脳髄狂気ホラー>誕生!
シムソンズ』で映画デビューして以来、TVドラマやCMで着実に女優としてのキャリアを積む藤井美菜が美人姉妹の妹を熱演。
衝撃的な運命をたどる姉のみゆきは、『パッチギ LOVE & PEACE』のヒロイン、中村ゆりが演じている。

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

戦前の16mmフィルムの中に出現した不思議な白い光を目撃した姉妹、みゆきとかおり。17年後、死への誘惑に取り付かれてしまった姉、みゆきは失踪する。姉の行方を追うかおりは、禁断の脳実験を繰り返す母親、悦子と再会。美しき姉妹と狂気の母親を待ち受けていたのは、彼女たちが生きる現実そのものを揺るがす異常な惨劇だった・・・。

解説

ポストJホラーの開拓地を目指す実験作

 『Jホラーシアター』シリーズ・第5弾(ラスト)。本作の監督・脚本を務めた高橋洋は、『リング』の脚本も手がけている。「Jホラーの到達点」という触れこみだが、むしろ「ポストJホラーの出発点」だと思う。一言で言うと、興行を期待していない自覚的な実験作だ。

 とはいえ、妹のかおりを演じる藤井美菜が、美形で印象的だ。また、姉のみゆきを演じる中村ゆりは、前半と後半で別人のように印象が変わる。そして、ふたりの母役の片平なぎさは、冷たい女医師を好演していた。

 本作は巷であまり評価されず、埋もれた作品になっている。その主な原因は、とにかく物語が分かりにくいことだろう。たとえば、登場人物たちが何に恐怖しているのか、といった基本的な部分すら分かりにくい。

 たとえば、女性の幽霊が叫ぶエスタブリッシュメント・ショット(キメのショット)がある。類似シーンがある『叫』の場合、それまでに感情の高まりがあり、叫びがカタルシスになっていた。

 ところが、『恐怖』の場合、幽霊が叫ぶ感情が伝わってこない。『叫』と同じ芦澤明子の撮影だから、技術的な問題でもないだろう。単純に話の筋がつかみにくいため、登場人物に感情移入しにくいのだ。しかしその一方で、脚本自体は精密に構築されている。

序盤のストーリー解説

 そこで、ストーリーを解説しよう。本作の物語は、SF的な平行世界を導入すると、一気に見通しが良くなる。逆に言うと、それに気付かないと、どの場面も全く意味が分からない。序盤だけ具体的に見ていく。

 喪服姿の太田かおり(藤井美菜)が、太田みゆき(中村ゆり)の部屋にいる、冒頭のシーン。机上のデジタル時計には「6/23 火 6:45」とある。かおりは「父さんが死んだ日」だと言う。「姉さんに電話しないと」とも言う。

 間宮悦子*1片平なぎさ)が持っていたカードと、本島和之が貼った探し人の貼り紙から、太田みゆきは26歳の「多摩医療大学病院 脳神経外科 研修医師」だと分かる。

 聞き込みに来た刑事は「(PCの履歴を)削除したのは、みゆきさんと連絡がつかなくなった当日、6月23日の朝です」と告げた。真っ暗なみゆきの部屋で、ふたりの人影を見たと証言した目撃者がいる。

 時計に「7/1 水 16:46」とある後で、かおりが目覚めて、時計には「7/1 水 7:04」とある。そして、ノートPCには「間宮脳神経外科クリニック」のWebページが表示されている。

複数の現実がもたらす恐怖

 時計が逆戻りしていることをどう見るか。もちろん、時計が故障したり、誰かが時計を調節したのかもしれない。しかし、ラストシーンから逆算すると、やはり時間自体が逆戻りしていると解釈したい。

 平行世界を導入すると、意味が分かる伏線が出てくる。たとえば、刑事に証言した目撃者が見たのは、みゆきではなく、後のシーンに出てきたかおりと本島なのではなかろうか。また、かおりが電話を受けてショックを受ける(画面が歪む)のも、やはり時空自体が混線しているのではないか。

 そしてまた、様々なモチーフの配置の意味も見えてくる。本作におけるあの世とは平行世界のこと。脳の手術で、シルビウス裂によるリミッターを外すと、平行世界を行き来できるようになる。不自然な白い光は、平行世界とのリンクを示す徴候だ。

 それまでの展開と矛盾するような結末が唐突に感じられるが、伏線は張り巡らされているのだ。単なる夢オチではなく、どれも現実だった。そして、本作の「恐怖」とは、現実が崩壊してしまう、ということだったのだ。

 ふつう、ホラー映画は2回目には怖くなくなるが、本作は2回目のほうが怖かった。これは希有なことだ。だがやはり、もっと分かりやすく作ってくれればいいのに、と素朴に思わなくもない。

 たとえば、ジョン・カーペンター『マウス・オブ・マッドネス』は、現実と虚構という似た題材を扱いながら、もっと分かりやすいし、結末のカタルシスもある。あるいは、デヴィッド・リンチマルホランド・ドライブ』のように、別の視座で見ると一本の筋が浮き上がる体験。そうしたものが欲しい。

 また、主人公・かおりが終始、傍観者的なポジションだった。最悪死んでも平行世界でやり直せるのだから、危機に遭うことで緊張感を出してもよかった。本当に描きたいのが深層=真相の平行世界だとしても、目くらましのためのドラマを表層に配置してバチは当たるまい。

 ただ、分かりやすい作品ばかり求められる商業市場の中で、新境地を開拓しようとする本作の志は高く買いたい。ヒットメーカの高橋&一瀬コンビであれば、過去のヒット作の模倣をすれば、そこそこ受ける作品は楽に作れることだろう。そうではなく、Jホラー全体の未来を考えて自覚的にこれを出したのだ*2

過去の闇、未来の光

 監督インタビューを見ると、脚本ができあがったときに一瀬プロデューサから「まず、10人中7人は、夢オチと取るよ」と言われたらしい。しかし、高橋監督は「夢オチではないんですよね」と明言している。

 「胡蝶の夢」のように、どちらかが夢でどちらかが現実ということではなく、「複数の現実が共存している」のだという。これ自体は、SFやファンタジーによくあるパラレルワールドだ。リミッターを外すと、外部の現実が認識できる、というのもある。とくにアーサー・マッケン『パンの大神』に、大きな影響を受けているようだ。

 しかし、それをいま映画にする意味は何だろうか。インタビューで監督は、アウシュビッツからの生還者にとって、平和な生活が現実と思えないときがあるという話や、自身が子供の頃に交通事故に遭いそうになり、夢でその不安に襲われる感覚があるという話を語っている。

 普通なら「何回も妄想に跳んで、現実に立ち返っている」と思うだろうが、監督は「どっちも本当なんじゃないかという感覚」を持っている。それが「なかなか、たぶん、一番伝わりにくいこと」なのだと言う。

 ここからは私の解釈だが、それは「偶有性 contingency」の感覚ではないかと考える。「必然」でも「不可能」でもなく、偶然性を有しているという意味だ。もっと分かりやすくいうと、ノベルゲームの分岐とマルチエンディングのような感じだ。

 『叫』の幽霊が過去の象徴なのに対して、『恐怖』の幽霊は複数の現実の象徴になっている。複数の現実というのは、「可能性」や「未来」と言い換えてもいいかもしれない。これはホラーよりSFと相性が良い題材で、本作が分かりにくい一因になっているかもしれない。

 一般的に、ホラーでは、過去の事件やそれに対する怨念が、幽霊が現れる母体になる。『リング』は貞子の母の公開実験だし、『呪怨』は佐伯家の殺人事件だ。斬新な幽霊像を提示した『叫』でも、やはり「過去=幽霊」のラインに沿っている。ところが、本作では「幽霊=別の現実」になっている。

 つまり、本作で恐怖の対象にしているのは、過去の闇ではなく、未来の光なのである。そのことだけを取っても、非常に希有な作品だ。

 この作品は、後に生きるのではないかと思う。たとえば、『女優霊』*3という作品は、それ自体は『リング』や『呪怨』のようなメジャーな知名度はなくても、後のJホラーの基礎を作った。同様に『恐怖』は、ポストJホラーという、未来の可能性を切り開くかもしれない。

関連作品

恐怖 (角川ホラー文庫)

恐怖 (角川ホラー文庫)

映画の魔

映画の魔

<ホラー番長シリーズ> ソドムの市 [DVD]

<ホラー番長シリーズ> ソドムの市 [DVD]

*1:エンドロールの記述から、太田悦子ではない

*2:インタビューで、「カルト」性を自覚していることがうかがえる

*3:この作品の脚本も高橋洋が手がけている

映画『怪談』 ――江戸の情緒と女の情念

概要

怪談 【通常版】 [DVD]

怪談 【通常版】 [DVD]

情報
紹介

『リング』の中田秀夫監督が初めて手がけた時代劇ホラー。原作は天才落語家・三遊亭円朝の名作「真景塁ケ淵(しんけいかさねふち)。女の愛の深さがひとりの美しい男をがんじがらめにして、地獄に落とす物語。豊志賀を演じるのは黒木瞳。そして新吉を演じるのは尾上菊之助。着物姿、立ち姿、流し目も美しく、色男・新吉役はまさにハマリ役。ほか麻生久美子瀬戸朝香井上真央など。『四谷怪談』ほどのオドロオドロしさはないが、背筋がゾクッとする美しい情念ホラー。(斎藤香)

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

出会ってはならない、愛し合ってはいけない運命の二人。深く激しい愛が巻き起こす陶酔と戦慄の物語。
若く美しい男、煙草売りの新吉。艶やかで凛とした三味線の師匠、豊志賀(とよしが)。
江戸の街で出会い、燃えるような恋に落ちたふたりは、実は親の代から続く不思議な縁で固く結ばれていたのだった。
ところがある日、若い弟子・お久と新吉の目配せをみた瞬間、豊志賀の心に嫉妬の炎が点り始め、
新吉と言い争ううちに美しい顔に傷を負ってしまう。傷は治らず大きく腫れ上がり、
やがてかわり果てた姿で豊志賀はあの世へ一人寂しく旅立ってしまう。
新吉に残されたのは「この後女房を持てば必ずやとり殺すからそう思え」と怨みのこもった遺書だった。

解説

江戸の情緒と女の情念

 三遊亭円朝の『真景塁ケ淵』を原作に、『リング』の中田秀夫が監督を務めた作品。同作のプロデューサ・一瀬隆重がプロデュースした『Jホラーシアター』シリーズ・第4弾としてリリースされた。

 時代物なので、江戸の情景と人々の情緒を細やかに描いている。たとえば、雨宿りをしながら話す新吉と豊志賀。雨が雪に変わると、新吉は去ってしまう。あるいは、三味線の稽古中。庭に咲く紫陽花を、新吉が一輪切り取り、お久に渡そうとする。さらに、新吉とお久が花火を見るシーンでは、カメラが上昇して、江戸の街を見下ろす。詩的な情景だ。

 「ずっと、ずっと、ずっと、あなただけ」*1というコピーが示すように、ロマンス色が強い。官能シーンもある。したがって、前半にホラーシーンはほとんどなく、もっぱら江戸情緒と色恋沙汰が描かれる。これには、ホラーはホラーに徹底して欲しいとか、時代劇はテレビでも流しているから要らない、といった意見もあるかもしれない。

 しかし、個人的には満足した。江戸の描写に成功していたからだ。セットや美術も良かったし、演技面では尾上菊之助(五代目)が特に良かった。歌舞伎役者だけあって、立ち居振る舞いが素晴らしい。「粋(いき)」な雰囲気が漂っている。その演技の「艶」は、女優陣より勝っていると感じた。

 もちろん、女優陣の演技も悪くないが、どこか現代人の演技だと分かってしまう。だが、尾上菊之助は顔立ちも浮世絵のようで、まるで江戸に生きているようだ。たんに和服を着てかつらをかぶる、というだけではない。身体動作のひとつひとつが洗練されていて、一挙手一投足で江戸を感じさせるのだ。

 ホラー色が強まる後半、豊志賀の幽霊よりも、蛇が見えるといった新吉の幻覚が、恐怖シーンの中心になる。『リング』ほど強烈ではないが、真綿で首を絞めるような、恐ろしいイメージが印象に残った。たとえば、お久と羽生へ向かう途中、橋の下から見上げると、豊志賀の視線が橋げたの隙間からかいま見えるシーン。

 たとえば『リング』の貞子と違い、豊志賀は新吉に対して、憎しみだけではなく、愛憎の感情を抱いている。間接的な恐怖を主にしているのは、そのためだろう。新吉の女房か女房になりそうな女を、新吉自身の手で殺させる、という殺し方が2回も現れる。

 これには、新吉の恐怖心もあるが、豊志賀の嫉妬心の現れでもある。豊志賀の倒錯的な欲望が、新吉を通じて実現されているのだ。というのもたとえば、新吉のいない間に、豊志賀が女房を直接殺しても、話の辻褄は合う。しかし、それだと、肉体的に死んでも、精神的には新吉の恋人のままである。

 そうではなく、新吉に自ら殺させることで、恋愛関係が破綻することを、新吉に思い知らせるのだ。さらに、少し違った角度で見てみよう。「この後女房を持てば必ずやとり殺すからそう思え」という恨みのこもった遺書にしても、「とり殺す」で終わっていても意味は通じる。

 「そう思え」と付け加えるのは、思うことに力点が置かれているからだ。たとえば、それくらい自分は恨んでいるのだとか、新しい女房を持とうなどと考えずに諦めろとか、ネガティブなものであれ、思いを伝えようとしている。このあたりに、女の情念がにじみ出ている。

 登場人物を殺したり、怖がらせたりすることだけに気を取られて、人間の心理を表現することを忘れてはいけない。たとえば、本作においては、羽生に向かう途中の「(豊志賀が)ついてきてる」という台詞に、豊志賀の執着心が表現されていた。

 広い意味で、時代物は人情話がベースになる。その人情の過剰な部分が笑いなら落語になるし、怖さなら怪談になるだろう。これがたとえばSFなら、感情のないロボットが襲ってきても成立する。しかし、時代設定が固定されている時代物においては、人間をどう描くかという部分が重要になるのだ。

 終盤、大立ち回りの殺陣が出てきたのは意外だったが、迫力がある。全体的に丁寧に撮られていて、良作だと感じた。Jホラーで時代劇というのはわりと珍しい。ジャンルの幅を広げる貴重な一作だろう。

関連作品

怪談 【限定版】 [DVD]

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怪談 (角川ホラー文庫)

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怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

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*1:同じ監督が撮った『仄暗い水の底から』の「ずっとずっといっしょだよママ」とよく似ているが

映画『叫 ―さけび―』 ――斬新な幽霊像を描くポストモダンホラー

概要

叫 プレミアム・エディション [DVD]

叫 プレミアム・エディション [DVD]

情報
紹介

監督は「CURE」「アカルイミライ」「LOFT」の黒沢清、主演は、「THE 有頂天ホテル」や、「バベル」「SILK/シルク」など、国際的な活躍も目覚ましい役所広司。そして、プロデューサーには、「犬神家の一族」「Jホラーシリーズ」の一瀬隆重、さらに今夏公開予定の2作品、「呪怨 パンデミック(原題:THE GRUDGE 2)」、中田秀夫監督「怪談」をプロデュース、発売日近辺には、更なる盛り上がりが期待できそう!共演は、小西真奈美(UDON、キラキラ研修医)、伊原剛志(硫黄島からの手紙) オダギリジョー(東京タワー、蟲師) 加瀬亮(それでもボクはやってない) そして3年半振りにスクリーンに復帰した葉月里緒奈(スパイゾルゲ)とまさに日本を代表する豪華キャストが集結!

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

 東京湾岸で、赤い服を着た女の遺体が発見された。捜査にあたった刑事・吉岡登(役所広司)は、同僚の宮路徹(伊原剛志)とともに犯人を追う。

 海水に溺死させるという手口が似ていることから、連続殺人事件として捜査が進められた。だがそうした中、各事件の周辺には、吉岡に関連した証拠が見つかる。自分が犯人ではないか、という疑念に吉岡はさいなまれた。

 そんなある日、発端となった事件現場を訪れた吉岡の前に、赤い服を着た女の幽霊(葉月里緒菜)が出現した。吉岡には恨まれる覚えは全くなかったが、幽霊は彼のもとに何度も現れる。

 吉岡は、彼の恋人・仁村春江(小西真奈美)に見守られながら、自らの無実を証明し、幽霊から解放されるために、単独で事件の調査に乗り出していく……。

解説

耽美主義的ポストモダンホラー

 『Jホラーシアター』シリーズ*1・第3弾の作品。本作の画面構成は、耽美主義に支配されている。すなわち、怖さだけにこだわらず、心地良さを優先している。ホラーということで暗くはあるのだが、ただ陰々滅々として殺伐としただけの世界観ではない。むしろ、暗さの中にロマンを感じさせるのだ。

 腐敗した死体、残酷な殺人など、目をそむけたくなる醜いものをもっと多用すれば、さらに怖く撮ることもできただろう。しかし、黒沢清監督はそれを選ばなかった。とくに赤い服の幽霊(葉月里緒菜)に関しては、目を釘付けにする美しいショットを撮っているのだ。

 『パトレイバー』もそうだったが、本作は東京湾岸を舞台にしている。お台場あたりを実際に訪れると、無機質な街という印象だが、本作はそれを感傷的な情景に仕上げた。吉岡が住む団地、彼が務める警察署、廃墟の撮り方にも、独特の美学が感じられる。

 B級的な演出でも何でも、とにかく怖いシーンがたくさんある、という作品ではない。だが、心地良い廃墟のような耽美的な世界に浸れる作品は貴重だ。娯楽性と芸術性を兼ね備えており、「2006年度ヴェネチア国際映画祭正式招待作品」となっているのもうなずける。

 そして、本作は新たな幽霊像を模索している。まるで、普通に日常を生きているかのような斬新な幽霊像だ。この幽霊像は、内在的な恐怖を描くモダンホラーに対置して言えば、「ポストモダンホラー」と言えよう。

過去の真実の象徴としての幽霊

 ストーリー面を見てみよう。「本格ミステリー」というほどには、謎解きを重視しておらず、ジャンル区分としては、ホラーサスペンスのほうが適切だと思う。しかし、物語の展開は大筋で明快だし、人物の感情も理解できた。

 物語中にも精神科医が吉岡に語る場面があるが、この作品における幽霊とは、再来する過去の真実の象徴となっている。すなわち、過去を「なかったことにしようとする」ことを許さない過去の声であり、それは叫びとして表現される。

 いっぽう、地震も叫びと同様に過去を表現するモチーフになっている。そこが海だったという過去を、埋め立てによってなかったことにしようとしても、地震によって液状化してしまう。つまり、過去の記憶を想起して、現在の地盤が揺らがされることの象徴なのだ。

 後半、幽霊が吉岡を許す場面がある。この「許し」は、「叫び」による告発と対になっている。そして、「叫び」の後に「許す」幽霊と、「許し」の後に「叫ぶ」幽霊がいる。前者にとっては対象が大勢の中のひとりでしかないから、後者はとってはかけがえがないから、そのような順番になっている。ふたりの幽霊の対比は見事だと思う。

 吉岡が犯人を許してしまったことは、倫理的に疑問がある行動だった。犯人は、相手の身勝手さが許せなかったのだろうが、殺人こそ最も身勝手な行為ではないか。前半で犯人に説教したこととも、明らかに矛盾している。

 だが、その部分については、吉岡が罪を清算するシーンがあって、カットされたようだ*2。また、許しが持つ権力性を描くという意図が監督にあったらしい*3。刑事と犯人にしろ、幽霊と人間にしろ、許しは権力上位者の特権だ。だが、その許しも過去を「なかったことにしようとする」行為であり、やはり盤石な地盤の上には立っていないのである。

ポストJホラーの幽霊像

 本作の幽霊像を見てみよう。そもそも、標準的なホラー映画における幽霊は、登場人物の主観を通して存在するものとして描かれる。つまり、物質的な身体を持った人間とは異なり、幽霊は「見える人にしか見えない」。

 だが、本作では、昼間に路上を幽霊がひとりで歩くシーンがあった。つまり、幽霊が客観的に存在しているように表現されている。さらに、幽霊が普通に扉から出て行ったり、ヒーローもののように空を飛んだりする、コメディと紙一重のシーンもあった。

 ビジュアル面を見てみよう。赤い服の幽霊は、貞子や伽椰子のようなギクシャクした動きではなく、スーッとなめらかな動きだ。静かに迫る黒い長髪の女、という部分だけ見れば古典的な幽霊像ではある。

 が、ムンク「叫び」のイメージだろうが、鮮やかな赤い服と、かん高い叫び声が、強く印象に残った。白い服を着ている、喋らない*4、ぼんやり表現されている*5、といったJホラー型幽霊の約束事*6を破っている。

 Jホラーの中には、それなりに怖いけれど、全く思い出せない、という幽霊がたくさんいる。が、赤い服の幽霊は、その姿がはっきりと記憶に残った。ホラーキャラクターとして魅力的なのだ。

 最後の閑散とした街を吉岡が行くシーンは、新聞紙が転がっているだけで、赤い服の幽霊の呪いでゴーストタウンになった、と解釈するのは難しい。そこまでいくのは飛躍している。が、要するにセカイ系のような感覚で、赤い服の幽霊によって世界が補完された、と考えると分かりやすい。

 新しい幽霊像を描いた本作は、Jホラーの「ゴッドファーザー*7」である黒沢監督が、新たな分野の開拓に挑戦した意欲作だ。

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黒沢清の映画術

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*1:このシリーズをプロデュースした一瀬隆重は、『リング』『呪怨』の製作・プロデュースにも関わっている、Jホラーブームの仕掛け人

*2:アナザーエンディングの存在

*3:監督のインタビューによる

*4:劇中、棒読みで喋る

*5:ただし、ピンぼけによってぼんやり感を出しているシーンもあるが

*6:要するに「小中理論」

*7:監督・黒沢清『回路』のハリウッドリメイク作『PULSE』のトレーラーから。そこで「Godfather of J-Horror」と称された

映画『パラノーマル・アクティビティ 第2章/TOKYO NIGHT』 ――世界中でヒットした疑似ドキュメンタリーホラー

概要

パラノーマル・アクティビティ第2章/TOKYO NIGHT [DVD]

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情報
紹介

制作費135万円で世界180億円を稼ぎ、日本でも6億円の興収を記録する大ヒットとなった『パラノーマル・アクティビティ』の正統続編。
次なる舞台を東京に移し、新たな恐怖が幕を開ける!

物語(あらすじ)

注意:以下、ネタバレあり)

東京の閑静な住宅地に住む山野家。27歳の長女、春花は旅行先のアメリカで交通事故に遭い、両足を複雑骨折して車椅子の姿で帰国する。浪人生で19歳の弟、幸一はそんな姉に買ったばかりのビデオカメラを向けて出迎えた。
ほどなく、車椅子が朝になると移動したり、お払いの盛り塩が踏み荒らされたりなどの怪事件が起こる。ただならぬものを感じた幸一は嫌がる春花を説得し、ビデオカメラを春花の部屋に仕掛け、そこで起こる出来事を撮影することに。
しかし、そこに潜む“何か”は幸一の想像をはるかに超えていた。深夜に響くラップ音、食卓で突然割れるコップ、霊感の強い友人を怯えさせるほどの異様な空気……。
陰陽師を家に招き、お祓いをしてもらったことで超常現象は一時的に収まった。しかし、再び起こったそれは春花や幸一の身に直接、危険を及ぼすことになる。
やがて明らかになる驚くべき事実。超常現象を引き起こすものの正体とは? 幸一と春花はこの現象から逃げ延びることができるのか?
撮影を始めでから15日目の夜、想像を絶する“パラーノマル・アクディビティ”が姉弟の身に容赦なく襲いかかる!

解説

世界中でヒットした疑似ドキュメンタリーホラー

 『パラノーマル・アクティビティ』というのは、疑似ドキュメンタリー形式のホラー映画だ。要は『ブレアウィッチ・プロジェクト』のようなホラー映画だ。日米それぞれで第2作が作られている。本稿ではその日本版を取り上げる。

 疑似ドキュメンタリーというのは、Jホラーも取り入れている手法だ。だから、海外からの輸入作ではあるが、Jホラーの流れから外れているということもない。むしろ、より凝縮されているくらいに感じる。

 じつは、疑似ドキュメンタリー形式というのは、見る側にとっても賭けの側面がある。というのは、普通のホラー映画なら、怖くなくても、ストーリー部分でそこそこ楽しめるようになっているだろう。

 それを意図的に拒否している疑似ドキュメンタリーには、そうした怖くなかったときの保険が掛かっていない。だから、怖くなければ後に何も残らない。怖いか、怖くないかのどちらかだ。

 しかし、本作は怖い。とくに終盤が怖かった。その恐怖というのは、事件の記録映像を見たときのような出来事が起こりつつある現場を目撃したこと、それが身近に起こりうると想像できること、それらに由来するものだ。

 最後の最後で派手な演出も見られたが、それまではラップ音のような日常の恐怖を描いている。ゾンビだとか明らかなモンスターが襲ってくれば、われわれの日常とは異なる非日常になってしまう。が、日常の恐怖なら、現実でも起こりうるかもしれない、という想像を許す。

 疑似ドキュメンタリーは、事件性を描きやすい。要するに、「堂々とヤラセができる心霊番組」のようなもので、それまでの反則をルールに組み込んで再構築している。といって、いきなり突拍子もなく、怪現象が起こればいい、というものでもない。

 本作は、環境作りを周到に進めている。とくに、姉が骨折していて動けない、という伏線はきわめて重要だ。骨折しているのに2階で寝るのは不自然とか、夜中に外に出てすぐにタクシーが拾えるのは都合が良いとか、細かい突っ込み所は色々あっても、とくに大きな問題ではない。

 ただ、ドキュメンタリー志向なのはいいが、民放のドキュメンタリー番組のような、口ゲンカをするシーンが頻出する。不和によってリアリティを出そうとするのは分かるが、ややうるさかった。

 また、怖くても途中で退屈するのではないかとも思った。が、全く何も起こらない場面は早送りすること、普段は画面を固定していてカメラが揺れないこと、寝る場面では画面を2分割して切り替えを少なくしていること、といった配慮がされている。意外と疲れなかった。

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